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승정원일기 379책 (탈초본 20책) 숙종 24년 6월 23일 병인 10/14 기사 1698년  康熙(淸/聖祖) 37년

閔鎭長이 입시하여 蔘貨潛商을 범한 金繼崔 등의 梟示, 變服하여 府內에 출입한 倭人을 梟示하겠다고 館守倭에게 申飭할 것 등에 대해 논의함

○ 請對入侍時, 閔鎭長所啓, 東萊府使朴權, 慶尙監司李彦紀, 以蔘貨潛商事, 犯罪各人, 取招啓聞, 金繼崔·韓貴碩·仇重卿·朴再章等四人, 竝梟示, 仇重邦, 宜施知情不告之律, 辛萬齊, 從重科罪, 兪承碩, 功過相準, 張唜男, 似非知情不告, 竝放送, 指捕各人, 依事目論賞, 訓別等不能檢察之責, 請令廟堂稟處, 而李彦紀啓聞中, 則東萊府使·釜山僉使, 不可不別爲論罪, 守門軍官部將, 事當與繼崔等, 一體梟示, 以嚴防禁云矣。繼崔·貴碩, 則與之同謀, 潛受倭人銀貨, 朴再章, 則又與貴碩同謀, 欲奪其銀貨, 仇重卿, 則移藏銀貨於其兄重邦之家, 又令倭人變服, 來匿於重邦之家, 繼崔等四人所犯, 俱極奸兇, 竝令一體梟示於官門外, 以爲懲礪之地, 仇重卿, 罪犯當死, 則其兄重邦之知情不告, 容有可恕之道, 而藏匿銀貨, 留接倭人, 皆在渠家, 則似不無同情掩匿之跡, 繼崔再度招辭中, 銀貨潛出形止, 皆稱倭人, 柴炭運入時, 潛爲帶出, 最後招辭, 稱以與兵衛踰墻出, 與渠載持銀貨, 來到貴碩家云, 則其銀之自官門出入, 明白無疑。倭館守門部將·軍官·通事之同情與否, 不可不明覈處置, 仇重邦及守門部將·軍官·通事等, 使之一體嚴刑窮問, 觀其情節, 更爲啓聞稟處。辛萬濟, 則以渠之供辭, 參諸他人所招, 則雖有緩不急事之罪, 別無掩護不發之情, 從重決棍, 以警日後。兪承碩, 功過果爲相準, 張唜男, 則各人招辭中, 皆不擧論, 則可知其初非同謀, 而亦無知情之節, 承碩·唜男, 依啓聞分揀放送。在逃各人, 多般設機, 使之期於必捕, 奸人之私相謀議, 潛出銀貨, 皆不在於開市出人訓別檢察之時, 則不必各別重究, 訓別等, 竝今姑置之。倭人之變服出入府內, 極爲驚駭, 東萊府使·釜山僉使, 難免不能檢飭之失, 竝從重推考。變服來接府內之事, 與兵衛, 雖或歸之於已死之兵衛, 而潛出銀貨, 圖賣人蔘, 已犯應死之科, 斯速通報島中, 得其回答, 梟示於官門外之意, 各別申飭於館守倭, 宜當。慶尙監司·東萊府使處, 以此分付, 而指捕各人論賞事, 令該曹考例稟處, 何如? 上曰, 他餘事, 依所達擧行, 而此事大關後弊, 不可視之尋常, 東萊府使, 推考, 似爲輕歇, 固當別爲嚴治。俾倭人, 有所懲戢, 東萊府使拿問後, 問目中添入此事, 可也。禁府謄錄