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승정원일기 419책 (탈초본 22책) 숙종 30년 6월 18일 병술 5/8 기사 1704년  康熙(淸/聖祖) 43년

金德基 등의 削去仕版, 尹弘离의 遞差 등을 청하는 司憲府의 계

○ 府啓, 請還收兄弟, 放歸田里之命。請還收禁衛營所屬所安島, 宮家折受之命。請全城君焜[全城君混], 遠竄。請前濟州牧使李喜泰, 拿問考律勘罪。請還收二王子延齡君昍宗親府有司堂上之任, 其時薦望宗臣, 及當該捧入承旨, 竝命從重推考。請還收智島安置罪人柳命天, 放歸田里之命, 仍命初勿擧論於赦典。近來贓汚之法, 非不申嚴, 而臺閣之糾劾, 朝家之按治, 若非武弁, 則率是孱弊之類, 至於士大夫有形勢〈之〉者, 率多漏網, 識者之寒心, 固已久矣。左承旨金德基, 前持平韓永徽, 卽其尤甚貪黷, 合被重究者也, 德基, 屢典郡府, 到處饕濁, 姑就其中一二事言之, 其在金山也。稱以送饋親庭, 米帒之中, 潛納孔方, 每月數次, 厥數夥然, 分繭官婢, 親自收絲, 課督甚嚴, 鄙瑣莫甚, 其在萊府也。馱送麴子於在京家屬, 麴樣甚厚, 其重異常, 齎來官僕, 怪而劈視, 每圓各胎入白銀十數片, 官僕, 盡取其銀, 換納他麴, 德基, 雖知見賣, 不敢徵推, 萊府之人, 莫不憤其壑慾, 而笑其取欺也, 至於大段衾子八件製來之事, 明白的實, 有口皆言。且以馬屎作甓, 以充日用煖㷝之資, 柴穀草應捧之物, 則以錢代捧矣, 炎洲珍貨, 逐日貿取, 其爲水原府使也。專不治事, 惟以剝割爲務, 如山城移轉運來之時, 各倉還上分給之際, 每石除出數斗, 以爲私用, 乃以小斗, 量給民戶, 甚至於親立庫門之前, 監掃鼠耗之穀, 簸而揚之, 作石別置, 竟歸私橐, 至於堤堰水草, 使民刈置, 竢其乾枯, 謂有欠縮, 倍徵其價, 或勒出民馬, 載去京家, 衿川所下里大莊新舍, 皆其水原時所辦, 若其畿甸廉問之日, 受賂縣邑之說, 亦甚狼藉, 家業暴富, 財産盈溢。而外示儉約, 欲爲遮掩, 家庭之間, 內行疏忽, 傍近之人, 或多質言, 其爲無狀, 不可齒諸人類, 韓永徽之通判完山也。貪黷無藝, 侵漁多門, 害及僧徒, 寺刹殆空, 多得隱結, 捧錢利己, 遞歸之後, 見覺營門, 百般哀乞, 僅得彌縫之狀, 薦紳之間, 孰不知之? 民怨孔極, 辱及家廟, 尙且蹲滯不去, 竟至在任遭母喪, 苫塊之中, 猶執印信, 不卽出送於兼官, 日夜經營, 無非竊簿書資財穀之事, 所眄官婢, 仍作哭婢, 隨喪載來, 萬目俱駭, 南中之人, 至今憤罵, 新起大宅, 制樣宏侈, 所儲南貲, 尙今充牣, 至於爭數步之地, 而失和至親, 縱法府之吏, 而日索娼物, 跡其平生, 實是名敎中罪人也。如此贓汚無恥之輩, 一任翺翔於法從之班, 其何以礪世而刷俗, 使饕餮之流, 有所懲戢而畏憚乎? 請左承旨金德基, 前持平韓永徽, 削去仕版。前持平李東彦, 卽故牧使世茂之子也。世茂, 嘗疏救誣告者金煥, 爲世賤惡, 假令東彦, 果有騂角之美, 其不可齒列於士大夫之林也, 決矣。當世茂遘癘身死於坡州官次也, 東彦, 旣不能無憾於所自盡之地, 自初喪及襄葬凡需, 以至墓道石物之價, 輒皆巧作名目, 勒徵民戶, 一境之內, 計口捧錢, 至有七百兩載來之說。伊時道臣, 推詰鄕色, 考見籍記, 至以手筆抹去神主價三字, 臺人語曰, 一喪之費, 豈至於此耶? 搢紳之間, 傳播其說, 坡州之人, 怨讟徹天, 渠亦自知其世累身謗, 難容於世, 入臺之初, 乃作峻激之論, 巧爲自掩之計, 一以搏擊爲事, 言言而沽直, 人人而結嫌, 欲使擧一世爲無敢議已, 其心所在, 路人皆知, 惟其文辨[文辯]優給, 權機捭闔, 博論廣說, 間有一得, 以此或有敢言之稱, 而若其心術之陰譎回互, 到處綻露, 其爲情狀, 有不忍正視。今日仕路, 雖曰混淆, 決不可使如此之人, 苟然充廁於衣冠之列, 以貽淸朝之羞。請前持平李東彦, 削去仕版。銀臺之職, 地望淸切, 其不可人人而冒據也, 決矣。左副承旨尹弘离, 爲人昏庸, 百無可取, 從前履歷, 率多冒濫, 昨年特陞, 實出意外, 近來處事, 益多可笑, 人之嗤點, 愈往愈甚。請左副承旨尹弘离, 遞差。請掌令李裕民, 遞差。請前參議金儁相, 罷職不敍。請善山府使李相殷, 罷職。措語見上  答曰, 不允。