승정원일기 543책 (탈초본 29책) 경종 2년 8월 13일 병인 26/27 기사
1722년 康熙(淸/聖祖) 61년
역모를 꾀한 趙泰采의 按律處斷을 청함
○ 今玆兇逆輩, 有三手之謀, 而四凶之聯上一箚, 卽其所謂平地手也。噫, 賊復一疏, 唱之於前, 兇魁聯箚, 繼之於後, 請定節目, 以爲結局之計者, 與移動天位, 廢逐君父之意, 實相表裏於兩急手, 則凶肚逆腸, 何嘗與三凶異同也哉? 泰采, 濫猾成性, 凶譎爲心, 目見凶謀垂成, 大勢已傾, 自以投合爲妙算, 廢黜爲得計, 游辭面瞞於諸宰抗爭之時, 箚請擧行於庭籲撤罷之日, 弄宗社於掌握, 視君父如奕碁, 論其罪犯, 元無輕重, 此所以四凶之稱, 萬口一談, 而殿下亦嘗以四凶目之, 則伏惟聖鑑, 於四賊情犯, 固已一視之矣, 而尙且强怫輿情, 不偱公議, 廷爭許久, 終靳兪音, 非所以重宗社而嚴討逆之義也。請圍籬安置罪人泰采, 亟命按律處斷。上曰, 勿煩。