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승정원일기 686책 (탈초본 37책) 영조 5년 5월 22일 병인 24/31 기사 1729년  雍正(淸/世宗) 7년

李廷濟, 以忠勳府意啓曰, 本府賜與田畓, 近爲鄕曲土豪輩所橫占, 而忠淸道鴻山·定山·扶餘等三邑, 視他尤甚, 良民以此失業, 稅入年年減縮, 本府需用, 不成貌樣, 列聖朝寵待勳臣之意, 職此而不見, 事之寒心, 莫此爲甚。而各邑守令, 視若秦瘠, 不少禁抑, 將至於莫可收拾之境, 故, 昨年秋, 海恩府院君, 必欲痛革此弊, 據執田畓, 一一奪給良民, 不勤奉行守令, 入啓論罪之意, 草記蒙允之後, 以此意發關申飭, 非止一再, 而各邑守令之慢不擧行, 猶夫前日。其中定山縣監, 不惟不爲奉行, 又從以與土豪符同, 不給良民, 全給土豪, 游辭暪報[瞞報], 略不顧忌, 今日外方, 若知尊畏朝廷, 則入啓申飭之下, 安敢若是縱恣耶? 若無別樣擧措, 則外方土豪, 無以懲畏, 守令慢謇之習, 亦無以警戢, 一依本府草記, 土豪, 令本道刑推定配, 當該守令, 從重科罪, 竝爲懲礪之地, 何如? 傳曰, 允。