승정원일기 752책 (탈초본 41책) 영조 8년 12월 13일 병인 11/16 기사
1732년 雍正(淸/世宗) 10년
湖南 留賑大同 중 江都에서 상납한 곡물과 戰兵船 儲置米를 濟州에 劃給하도록 分付할 것을 청하는 備邊司의 草記
○ 尹東衡, 以備邊司言啓曰, 以濟州牧使鄭必寧狀啓, 令備局, 其所狀請, 劃卽區劃, 卽爲草記事, 命下矣。本島災荒至此, 民事誠極悶慮, 賑資不可不從優劃給, 以慰絶島望哺之心, 而兩南沿海, 旣皆被災, 前後賙賑, 穀物蕩盡, 羅里舖所儲, 亦已罄竭於接應, 本島之任, 實無措手之路, 嶺南甘同倉儲置, 猶有一分推移之數, 而海路絶遠, 難以及時輸送, 以湖南留賑, 大同中江都上納條二千石, 戰兵舡儲置米三千石, 合五千石, 先爲急急裝載入送, 戰兵舡儲置米, 則當初設置, 意有所在, 不可不代給其數, 甘同倉米三千石, 劃給湖南, 以爲運來充補之地, 其他後錄所請諸條, 一倂許施宜當, 兩道監司及該各司, 一體分付, 何如? 傳曰, 允。