승정원일기 765책 (탈초본 42책) 영조 9년 9월 5일 계미 11/21 기사
1733년 雍正(淸/世宗) 11년
○ 李宗城, 以備邊司言啓曰, 因戶曹判書金在魯所達, 畿內還上十石未捧守令, 解由拘礙一款, 令廟堂, 稟處事, 命下矣。當初御史, 爲慮畿內餉穀之專歸逋欠, 有此改法嚴飭之請, 而本司覆啓, 以常年則十石以上未捧, 解由拘礙爲言者, 蓋爲其殺歲, 則或停捧或減捧, 自在勿拘之中故也。今以辛亥一年言之, 年事則大殺, 而新還, 無停退之令, 故以常年例拘礙, 未免相左, 京畿外七道, 姑未一體頒令, 似涉不均, 此法終有過重窒礙之弊。自今還上未收, 依前勿拘解由, 只施越等之法, 何如? 傳曰, 允。