승정원일기 814책 (탈초본 45책) 영조 11년 12월 12일 정축 7/11 기사
1735년 雍正(淸/世宗) 13년
大臣備局堂上의 引見 등에 관한 備邊司의 草記
○ 又以備邊司言啓曰, 大臣·備局堂上引見入侍時, 因前漢城府右尹李瑜所啓, 軍額逃故未充定守令及次知座首·色吏, 論罪定式事, 有商確作爲節目之命矣。外方軍額逃故有無, 自京司無憑可知, 從前無定式責罰之事, 蓋由於此, 而昨年大査正之後, 簽丁一事, 應入於前頭繡衣廉問時, 條目罪名, 預先分等定式, 以爲隨其現發, 依此勘斷之地, 誠合於飭勵之道, 宰臣所達, 不爲無見, 逃故未充定二十名以上守令定配, 次知鄕色嚴刑, 全家徙邊, 十九名以下守令削職, 次知鄕色嚴刑, 中道定配, 五名以下守令罷職, 次知鄕色, 自京司拿致嚴刑事, 定式施行, 爲先以此知委, 申飭於諸道, 何如? 傳曰, 允。