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승정원일기 1219책 (탈초본 68책) 영조 39년 6월 22일 무신 37/37 기사 1763년  乾隆(淸/高宗) 28년

○ 癸未六月二十二日申時, 上御思賢閤。推鞫大臣以下入侍時, 領議政申晩, 判義禁尹汲, 同義禁李章吾·尹東暹·洪名漢, 司諫鄭恒齡, 持平具庠, 左副承旨沈履之, 假注書任煜, 事變假注書金復休, 記事官李東顯·金敍九, 以次進伏。上曰, 藥房提調, 持湯劑入侍事。出榻敎  賤臣承命出, 引提調李之億入, 上進御理中湯, 之億先退。上曰, 胤玄之供, 果何如? 曰, 其供可謂極亂矣。上曰, 比前親問時, 何如? 曰, 少無異同, 而久囚囹圄, 尤涉無常矣。上曰, 亂言之律, 何如? 曰, 非一律矣。上曰, 如此而使之久囚王獄, 則亦一王獄之羞恥事也。諸堂進前, 各奏其意, 可也。曰, 其言可謂狂矣, 誠不足道也。章吾曰, 其語旣無先後, 又無倫脊, 非狂人則決不可若此矣。東暹曰, 當初僅受侤音, 而其後則或稱子貢, 或稱·, 都無着落。以臣所見, 可謂眞狂矣。名漢曰, 觀其所供, 非狂則亂, 非亂則狂, 二字足以盡之矣。上曰, 兩司之意, 何如? 恒齡曰, 臣則初見厥漢, 觀其容貌, 似非顚狂之人, 而及其納供, 非所對而對之, 非所證而證之, 決不可以人理責之矣。曰, 似狂似邪, 無可模捉矣。上曰, 京主人, 必多難堪矣。東暹曰, 尙州京主人, 由此而以致貧殘, 無餘地云矣。曰, 臣初發夬正之論, 而今日見之, 更無可達矣。恒齡曰, 臺言每加一層, 而至於此漢, 則實無可加之論矣。上曰, 此而久囚王獄, 只使臺言空發, 則王章亦可謂陋矣。仍命書傳敎曰, 胤玄初見其人, 已知浮浪, 定配濟州牧, 使之報來到, 近世人心, 不可不解惑, 故鞫問, 覽其供辭, 其狂自綻, 故酌處。臺臣過爲爭執, 非徒此也。此人踰於囹圄, 莫知又作何樣機關, 迄于今日, 更思之, 王者處分, 宜遵其律。恐或復爲亂言, 以物故爲期, 囚於囹圄, 胤玄雖不足道, 決不可垂法於後, 故特允臺啓, 更觀處之, 詢問參鞫僉議, 果若其料, 旣知顚狂, 則律何施也? 刑何加也? 依前下敎, 大靜縣定配。曰, 聖敎至當矣。曰, 濟州則輕, 改配黑島似好矣。上曰, 道里, 何如? 恒齡曰, 黑島則只水路三百里, 比濟州爲輕矣。上曰, 然矣。委官先退, 可也。曰, 文案出付於本府, 似宜矣。上曰, 可矣。復休持文案先退, 領相以下皆退出。履之曰, 右副承旨鄭運維, 頃日特除承宣時, 只有遞差之敎, 而其前違牌傳旨, 則踏啓字以下, 何以爲之乎? 上曰, 然乎? 予忘之矣。仍命書傳敎曰, 右副承旨鄭運維, 前日違牌傳旨踏下云。遞差之後, 混踏中官, 越俸一等, 敍用。上命書傳敎曰, 旣遞之後, 已伸廉隅, 而一向違牌, 分義道理, 俱涉寒心。只推, 更爲牌招。上命履之讀各道狀啓, 及諸司草記, 讀訖, 諸臣以次退出。