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승정원일기 1290책 (탈초본 72책) 영조 45년 3월 26일 기유 20/21 기사 1769년  乾隆(淸/高宗) 34년

○ 己丑三月二十六日巳時, 上御集慶堂。藥房入診入侍時, 都提調金相福, 提調鄭弘淳, 副提調洪樂仁, 假注書李萬軾, 記事官李德師·兪岳柱, 醫官方泰輿·許礈·李以楷·鄭允協·慶絢·金季良·玄處明·鄭允說·柳光翼·徐命緯·許溵以次進伏訖。上曰, 祭報府讀之。樂仁讀過申大孫, 上曰, 是大脩之族乎? 樂仁曰, 故參判申昉之子也。上曰, 徐廣修, 誰也? 樂仁曰, 徐宗汲之從孫也。相福曰, 夜間, 聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。相福曰, 寢睡·水剌之節, 亦何如? 上曰, 寢睡如前爲之。自服腎瀝, 頗有思食之念, 或其效乎? 相福曰, 順下之故, 有消食之效矣。仍進湯劑, 上進御訖, 相福曰, 晚後當更進劑矣。上曰, 內殿患候, 尙未快復, 令諸醫更議繼進之劑。曰, 感候尙今彌留, 藿香正氣散數貼加進, 然後繼以六君子湯, 似好矣。泰輿曰, 正氣散解挾食, 養胃湯破結痰, 則實爲當劑矣。以楷·允協·所奏與泰輿同。上曰, 金季良·徐命緯達之。季良曰, 外氣未解, 且有挾食之漸, 不可不加用正氣散數貼矣。命緯曰, 養胃湯, 非不好矣, 目今緊着, 正氣散似急矣。上曰, 雖明日快復, 正氣散亦可加用乎? 僉曰, 然矣。上曰, 加用之外, 無他策也。命藿香正氣散三貼加製以入于內殿。相福請診, 上曰, 今日, 豈可爲之乎? 姑置之。相福曰, 昨日進湯後, 便道如常乎? 上曰, 一次登廁而順滑矣。曰, 好矣。上曰, 果是好兆乎? 諸醫達之。泰輿以下所奏, 皆同, 上曰, 似有應驗矣。相福曰, 然矣。上曰, 小便, 近頗澁矣。此劑進服後, 亦順利矣。相福曰, 小便或澁, 若進木米飮, 則亦爲通利矣。上曰, 然乎? 相福曰, 木米, 利此症也。上曰, 腎瀝不滯乎? 曰, 無此慮矣。相福曰, 丸劑亦連進御乎? 上曰, 連爲進御矣。當此日進此劑, 予豈忍爲, 而昨日申後, 中氣稍勝, 進御之外, 無奈何矣。相福曰, 以日前下敎, 論之, 此劑, 果是及時之藥矣。上曰, 膝痰入腰, 此緣平日不善調護之致, 而予常見極調護之輩, 心實奇怪之矣。相福曰, 此實群下之悶迫處也。上曰, 頭部常有汗氣, 何也? 曰, 頭部, 諸陽之會, 陽氣上升之致, 而腎瀝爲功, 利於引氣, 進此之後, 此症似減矣。上曰, 諸見亦同乎? 泰輿等, 俱奏言是矣。曰, 日氣猶寒, 腰部易冷, 幸加腰帶也。上曰, 苦矣。曰, 不必厚也, 祫亦好矣。上曰, 着襪而寢, 如何? 相福曰, 好矣。上曰, 予常薄着, 手末必寒, 不脫吐袖矣。相福曰, 領相亦爲薄着之故, 恒着吐袖矣。上曰, 然乎? 樂仁曰, 然矣。上曰, 腎瀝之羊, 必用雄乎? 相福曰, 然矣。腎非外腎, 卽內腎也。上曰, 然乎? 相福曰, 外腎則不用矣。上曰, 予則錯認以外腎, 心常以爲如何矣? 然齊宣易羊, 德及獸, 予則不然, 豈不悶乎? 相福曰, 藥用則聖人之所不得已也。今番羊, 以丙戌所餘, 付諸軍門及戶曹者, 推用之矣。上曰, 然乎? 建功, 長服亦難矣。曰, 群下, 必無長服建功之人, 亦以腎瀝言之, 丙戌則連用八劑, 凡人脾胃, 必不堪當矣。上曰, 然乎? 相福曰, 必然矣。上曰, 徐命緯, 近於何邊乎? 命緯曰, 命字, 皆十寸矣。上曰, 李長周, 長夏之弟乎? 相福曰, 然矣。上曰, 向診見之, 年少矣。相福曰, 長周術業, 領相信用矣。上曰, 許溵, 之子乎? 常以爲獻一子云矣。曰, 所獻之子, 卽之兄也。相福曰, 韓判府陳白加資, 則前因特敎出六, 爲引儀矣。曰, 腰帶不可不造入矣。上曰, 甚妨置之, 昔則不着吐袖與小冬衣矣。相福率醫官先退, 弘淳曰, 臣以試射事, 有不可不稟定者矣。上曰, 達之。弘淳曰, 軍門所屬, 皆有統率, 而其餘京鄕自願之流, 旣無統率。只以役所, 成冊分排試才之外, 實無他策, 以此擧行, 何如? 上曰, 好矣, 依爲之。弘淳曰, 內吹及近仗軍士·旗差備扈輦隊, 亦以役所所錄, 成冊擧行, 何如? 上曰, 依爲之。弘淳曰, 堂下侍衛服色, 何以爲之乎? 上曰, 靑天翼擧行。命書之曰, 宜酬其功, 或濫宜飭, 軍職武藝廳, 依例擧案。中官及差備所屬, 與內司四宮所屬, 皆令單子先啓下後, 修正試記, 其餘各司所屬, 與此外赴役者, 令本所修送成冊, 於射於砲, 修正單子, 而覽書來, 濟州領來人, 其亦赴役, 可嘉其誠。此皆是名係軍摠者, 雖其中邑吏, 何異京吏耶? 此則成冊來到後, 射砲中, 從自願修正單子, 其中若有先欲下去者, 亦令從願施行, 內吹·扈輦隊·近仗軍及其他前日試射時應射砲者, 亦從本所成冊修正單子。仍曰, 等待, 雖難, 齋日相値, 不可不退定矣。命書之曰, 精神索漠, 且欲酬其功之心勝, 追思夏禴下敎, 命讀祭報府, 昨夜已行誓戒, 其日卽隷儀也, 所重雖在, 前則不可, 後則其晚, 不過半日事。且來月初四日前, 攝行之心憧憧, 豈行他事? 無故則初五, 而伊後六七日, 亦値國忌正齋, 慕華館親臨, 以初八日擧行事, 更爲分付。又命書之曰, 射砲貫革, 雖已下敎, 人摠旣多, 雖此數外, 一依庚辰例擧行。樂仁曰, 昨有洪梓·宋宜孫給牒之命, 而退聞之, 則其時該府以功議各減一等懸入, 竝在蕩滌中云矣, 上曰, 然則其下敎爻周, 而前者處分之下, 豈可自下任意懸功議而蕩減之乎? 命書之曰, 頃者洪梓·宋宜孫就理後, 依下敎只爲草記擧行, 而循例捧供, 皆爲無故蕩滌, 其涉不察。今不可追提, 不無其飭, 該堂從重推考, 矇然承傳色, 混下中官, 越俸一等。以次退出。