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승정원일기 1358책 (탈초본 76책) 영조 50년 12월 7일 병술 25/26 기사 1774년  乾隆(淸/高宗) 39년

○ 甲午十二月初七日辰時, 上御集慶堂。大臣·備局堂上, 引見入侍時, 領議政申晦, 左議政李思觀, 行司直具善復, 漢城判尹韓光會, 行司直李章吾, 戶曹判書具允鈺, 行副司直鄭存謙, 行副司直李潭, 行副司直李潤成, 刑曹參判尹泰淵, 行副司直金華鎭, 吏曹參判洪趾海, 行副司直權噵, 行副司直沈履之, 大司憲宋淳明, 大司諫任希曾, 校理尹正烈, 左副承旨鄭好仁, 假注書李洪載, 事變假注書吳大益, 記事官尹宗彦·李儒慶, 以次進伏訖。上命讀座目, 賤臣讀奏訖。曰, 聖候, 若何? 上曰, 一樣矣。曰, 雪已過三白, 一寒如此, 伏願加意調攝, 房堗溫乎? 上曰, 溫矣。曰, 靈光·濟州兩邑漂海人, 今將從旱路領來矣。入京後, 接置于南別宮, 別定禁軍一人·兩捕廳軍官各一人, 領率衛軍捕軍, 各別防守。供饋衣服製給等事, 令各該曹依例擧行, 本司郞廳一員, 解事譯官數人, 亦爲定送。漂到情實, 更加盤問, 姑留數三日後, 濟州漂人, 則定咨官領送燕京關西之盤纏銀子, 三道之定差員交遞領往等事, 分付各該道臣。亦令義州府, 預先馳通於鳳城將, 以爲渡江後, 護送之地, 何如? 上曰, 依爲之。曰, 全羅兵使李漢泰, 以靈光漂海人事狀啓及備局報辭中物件成冊上送云, 而無上送之事。莫重邊報, 身爲帥臣, 疎忽莫甚, 事極駭然, 罷職, 何如? 上曰, 依爲之。曰, 兵曹判書趙曮, 纔遭慘慼, 目下情理, 不可以職務責之, 而當此都政之月, 應爲擧行之事, 一切抛置, 亦甚可悶, 不可無變通之道, 故敢達。上曰, 許遞可也。曰, 武臣中柳世德·韓師浹, 以老職, 階至資憲, 而尙未經實職, 不得追恩云。日昨醫官之未經知事者, 亦有單付之命矣。至於曾經防禦使之人, 尤有所體念之道, 故敢達。上曰, 一體單付, 可也。以上出擧條 善復曰, 濟州武士賞格筒介, 以軍器寺造給有特敎, 而自該府例爲造給, 依前擧行, 何如? 上曰, 依爲之。允鈺曰, 婢貢蕩減, 以甲午爲始, 其所給代, 以乙未磨鍊, 甲午給代, 自在闕遺矣。頃日大臣, 以關西錢, 別爲區劃之意, 陳達行會矣。關西錢儲亦乏, 不得推移, 他無可以措手處。臣曹所受者, 當爲一萬八千兩, 今年之內均廳, 無策拮据, 勢將以明年應捧中, 不拘等數, 當爲上下, 而各司給代之今年十月內應下者, 厥數亦爲三千餘兩矣。臣曹則經用雖甚苟簡, 數三朔猶可遲待, 至於各司, 則事勢甚急, 今年內必給然後, 方可無窘乏之患。各司以均廳之靳許, 責出於度支, 度支乃是經費衙門, 給代一款, 非所可論, 敢此仰達。下詢大臣, 從便區劃, 何如? 上曰, 大臣之意, 何如? 曰, 婢貢給代事, 誠爲可悶, 當初節目時, 今年應給者, 初無擧論, 故尙未上下, 而各處之催督甚急, 故戶判如是陳達矣。旣是給代, 則均廳似當主之, 戶曹應下者, 則雖待明年, 各處今年內應給者, 自均廳上下爲宜。大抵節目中, 財力磨鍊者, 到今不無緯繣處, 亦不可不趁卽釐正。均堂鄭弘淳, 使之主管, 以爲釐正之地, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條  上曰, 益昌府院君獻議, 可謂名獻議, 其立節, 頗似圃隱矣。·思觀曰, 然矣。上曰, 致雲凶慘矣, 懷其逆心事予, 尤豈非凶慘乎? ·思觀曰, 自古梟獍之徒如是矣。上曰, ·壽垣, 以戊申事看作義理, 凶惡凶惡矣。維賢之逆, 誠前古所未有者, 予無負渠, 而渠自謀逆, 凶矣凶矣。·思觀曰, 梟獍心腸本如是, 窮凶極惡矣。上曰, 李述原事, 如顔杲卿矣。昨除其孫職, 自此嶺南似勝矣。·思觀曰, 聖上褒忠之典, 人皆感歎矣。上曰, 述原之子, 爲何官乎? 曰, 昔年除職爲守令, 今此除職者, 亦曾入初仕望矣。上曰, 麟佐誰某之孫乎? 曰, 李雲徵之孫也。上曰, 希亮桐溪之孫, 而兩賊俱是極賊矣。上曰, 曹南溟主怪論, 嶺南之弊多矣。上曰, 居昌爲幾日程乎? 曰, 七八日程矣。上曰, 述原之孫, 何當上來肅謝耶? 思觀曰, 似在歲前矣。上曰, 今雖齋戒日, 兩司所懷, 可也。大司憲宋淳明所懷, 請咸道亨, 依本律處斷。措辭見上  上曰, 勿煩。又所懷, 守令除辭者, 謝恩後, 仍爲歷辭朝廷, 下直後, 不敢留滯家中者, 法意有在。近來守令有除, 皆命謝恩後, 仍爲下直, 此實出於我殿下軫恤民弊之盛意, 而爲守令者, 諉以辭朝之急遽, 廢却歷辭之規。爲其夫馬之等待, 淹留家中, 或至於旬日之久, 其虧傷分義, 壞損體統, 大矣。臣謂自今爲始, 守令辭朝, 定以十日爲限, 辭朝之後, 毋得一日留滯城裏之意, 嚴明定式, 宜矣。上曰, 其令除歷辭辭朝, 意蓋爲民, 今聞所奏, 留家一月, 萬萬可駭。此非十日定式者, 爲先令吏曹卽問, 今月內辭朝, 守令若有此弊, 草記, 施以告身之律。昨日守令, 若有在家者, 亟施告身三等之律, 竝勿檢擬於守令。大司諫任希曾所懷, 請咸道亨, 依本律處斷。措辭見上  上曰, 勿煩。又所懷, 御史之行, 事體自別, 其所自飭, 尤宜嚴謹, 而今番濟州御史洪相聖, 中路所眄之妓, 携至海上, 仍與渡海。人多傳說, 事未前有, 聽聞駭恧, 御史洪相聖削職之罰, 斷不可已也。上曰, 聞甚可駭, 豈可至此而止? 令該府嚴問於沿路, 果然, 亟施海南投畀之典。又所懷, 董飭庶官, 專在於考績, 而近來殿最之法不嚴, 外官猶有中下, 而京司則一例書以上考, 殊無核實之意。今當考課之月, 宜有申飭之道, 令該各司, 須勿如前, 着意書考, 俾有實效, 恐合事宜矣。上曰, 所奏誠是, 依啓。又所懷, 臣言議巽軟, 本不合於淸朝耳目之寄, 而適聞御史洪相聖之駭擧, 有所論責矣。及承聖批, 處分至嚴, 臣之議律太輕之失, 於是著矣。其何可晏然仍冒於臺次乎? 請命遞斥臣職。上曰, 其所請, 擧職可尙, 律名輕重, 何可論也? 勿辭, 亦勿退待。上曰, 兪集一好人矣, 兪彦述集一, 爲幾寸乎? 曰, 集一之族不遠矣。上曰, 予始不識何狀, 而終乃知其爲好人矣。曰, 其文詞稱於世矣。上曰, 然乎? 上曰, 兪彦國固執之人, 而兪健基亦然矣。思觀曰, 然矣。思觀曰, 臺臣論守令下直事, 誠是矣, 而守令下去, 雖有定限日字, 不可不見大臣, 故不無少滯之事矣。上曰, 似然矣。上曰, 承文院揀擇, 已爲之乎? 儒慶曰, 今已經過矣。上曰, 此是古風也。·思觀曰, 然矣, 新進夜到先進家, 雖深更, 不爲開門納之, 故不敢入。且買草鞋, 給其奴子然後, 始開門入謁矣。上笑曰, 然乎然乎? 此眞古風也。好仁韓判府事軍門都提調辭疏訖。上曰, 元判府事果已過葬, 可惜可惜, 得年幾何耶? 曰, 五十四矣。上曰, 其間過五十耶? 且於予幾寸親耶? 曰, 七寸親矣。上曰, 元景夏不易得之人也, 今只餘一子, 可憫可憫。上曰, 元義孫休休人矣。思觀曰, 誠休休矣。上曰, 判府事已過葬返虞, 予懷曷極? 仍命書祭文, 遣承旨致祭。上曰, 都憲之年幾何? 曰, 過六十矣。上曰, 筋力如少年矣。上曰, 洪九瑞好人矣。上曰, 洪樂信洪龍漢, 爲幾寸親乎? 曰, 龍漢之姪也。上曰, 予忘之矣。上曰, 樂信之撕捱難處矣。曰, 姑以外任用之似好。思觀曰, 如此之人, 前或斥補, 以爲次次進塗之地矣。上曰, 李彦衡好八字矣。曰, 三子登科, 一子又爲今番進士矣。上曰, 然乎? 上曰, 李重馥事, 誠不可知矣。此非挾雜, 而論人之說至此, 莫曉其故也。·思觀曰, 然矣。趙明鼎方帶賓客之任, 文學優優, 此職則無不行公之義矣。上曰, 重馥疏後, 兩臣皆疏辯乎? 曰, 然矣。·思觀曰, 三公不備, 又當歲暮, 臣等每欲陳達而未果矣, 請卜相。上曰, 領左相命招卜相。諸臣退出。