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승정원일기 1440책 (탈초본 79책) 정조 3년 4월 23일 무인[정축] 17/26 기사 1779년  乾隆(淸/高宗) 44년

李敬彬 등의 처벌을 요청하는 大司憲 鄭昌順 등의 啓

○ 大司憲鄭昌順, 大司諫金文淳, 司諫李恒祚, 持平洪樂淵, 獻納李枰, 正言尹行元·申應淵啓曰, 敬彬·成運之與若淵·相簡, 爛漫綢繆之狀, 旣已畢露於諸賊招辭中, 而抵賴不服, 未施當律, 揆以王法, 失之太寬。請濟州牧移配罪人敬彬, 熊川縣定配罪人成運, 亟令王府, 更爲設鞫得情。澤遂, 爛漫同參於啓能凶慘不道之謀, 而只誅其身, 王章未泄, 其陰凶情節, 其父其弟, 萬無不知之理。請彦衡·養遂·獻遂, 竝令王府, 設鞫嚴問。會遂之罪惡, 與澤遂, 一而二, 二而一, 則啓能凶慘不道之謀, 必無不知之理, 而忍杖不服, 遽有酌處之命, 有乖獄體。請還寢會遂絶島定配之命, 仍令王府, 嚴鞫得情。李觀源, 以啓能之壻, 兼有師生之義, 啓能凶慘不道之謀, 決無不知之理, 而以蒙騃爲敎, 遽然酌處, 有乖獄體。請還寢李觀源定配之命, 仍令王府, 嚴鞫得情。嘻噫, 痛矣。以賊萬古所無之逆魁, 不卽正刑, 徑先致斃, 輿情莫不痛惋, 此豈可以尋常物故, 置而不論哉? 論其平日罪犯, 則陰樹逆種, 密傅凶論, 慫慂·, 爲渠羽翼, 糾結·, 自作窩主, 待國洞執命之日, 擬占台府, 當李潭秉銓之時, 把弄朝權。且以醴酒之說·大北之論, 肆然脅持, 百計嘗試, 倡爲推崇之說, 恐動儕流, 沮遏代聽之逆, 皆其部曲, 則亂本凶圖, 甚於···, 究其情節, 已是萬戮猶輕, 而及夫賊之招出後, 凶言逆情, 尤益綻露無餘矣。噫, 癸亥反正之說, 太甲桐宮之言, 推載逆之謀, 某也爲大將, 某也爲吏判, 某也爲閫帥等說, 爛漫於前後諸賊之供, 而妖埋凶之計, 究其本則賊也, 逆懷刃之凶, 究其本則賊也。特以凶頑之故, 忍杖徑斃, 王章未伸, 擧國同憤。今以渠之招辭觀之, 雖優爲謀逆, 以不少之人, 何可遽然承服, 又以爲如欲殺之, 則速出斬之等語, 肆然發惡, 而且太甲桐宮之說, 果與諸賊, 一席酬酢於展開書傳, 講其文義云者, 與相吉·澤遂之招, 若合符契。卽此一節, 乃渠之結案, 旣已遲晩後物故, 則不可以未及結案置之。請遲晩後物故罪人啓能, 亟施孥籍之典。啓能·趾海等諸賊, 窮〈凶〉極惡, 自有天地以來, 所未有者, 而限以國法, 賊未施孥戮, 賊未兄弟, 猶貸其凶種之稚少者, 梟種稍長, 安知不更肆獍惡, 如·等所爲者耶? 法令有限, 而事變無窮, 常事守法, 處變貴權, 從古聖賢, 不能無義起者, 所以善處變於法外之意, 得其時中之權也。今殿下, 以自我防之, 自我啓之, 爲持難之端, 其防也, 固是守法之常也, 其啓也, 豈非處變之權, 而一向膠守, 不卽處分, 則豈不有欠於懲亂逆防後患之大經大法耶? 請令王府, 一依古典, 賊等凶種之年未滿者, 待其稍長, 卽施邦刑, 俾絶凶逆易種養禍之患。志恒之罪, 可勝誅哉? 聖朝之眷注於渠, 何如, 倚毗於渠, 何如, 而始旣拔擢於擧世擯棄之中, 特又寬宥於贓汚狼藉之後, 而少無圖報之意, 反肆悍勵之氣。久掌戎權, 而陰結宦寺, 潛連宮人, 薄竄南州, 益蓄異圖, 延妖卜而暗質凶謀, 縱傔奴煽惑愚氓, 親而同堂之庶從, 近而帶行之傔人, 皆不能掩諱。卽此一事, 固已難逭於三尺之法, 而帳殿訊問之時, 着署而悖逆, 執杖而咆勃, 此實無前之凶逆。且與逆來, 交情親密, 謀議綢繆, 換着布袍, 昏夜往來, 伺探動靜於深嚴之地, 對逆來而爛漫酬酢之說, 尤是萬古所無之惡逆。窮凶情節, 綻露於賊之招, 密書之頻數往復於逆來, 諸囚之供辭, 若出一口, 情節昭著, 無非渠之結案。以其頑慝, 抵賴不服, 未施當施之律, 王章尙稽, 輿情益切。請物故罪人志恒之支屬應坐者, 絶島散配。答曰, 不允。