승정원일기 1536책 (탈초본 83책) 정조 7년 7월 8일 정유 18/29 기사
1783년 乾隆(淸/高宗) 48년
○ 柳誼, 以刑曹言啓曰, 鄭大隱阿只査事及重獄錄啓遲滯委折, 關問於黃海監司沈念祖處, 則回移內以爲, 獄體至嚴, 人命且重, 凡係情跡之審理, 簿案之錄啓, 如非屢經推閱, 恐易差失, 擇定參査, 博採所見, 而舊獄之査覈未了, 新獄之推檢相仍, 未免中撤, 自致遲滯, 至有此關飭, 誠不勝惶悶。斯速究竟登聞計料, 而鄭大隱阿只査事則許多干連, 遠地推捉, 自費多日, 致稽于此, 更飭査官, 待其報來, 亦卽封啓云矣, 敢啓。傳曰, 農時許多人推閱, 妨農可悶, 速卽究竟狀聞之意, 査官處, 嚴飭事行會。係是特敎行査, 他道則方伯親執爲之, 獨於本道, 每以定査官爲之之意登聞, 豈其道例, 各有不同而然乎? 此等處, 宜有一番均一之制, 卿曹相考各道文案, 定式行會, 刑止草記, 可也。