승정원일기 1536책 (탈초본 83책) 정조 7년 7월 14일 계묘 22/27 기사
1783년 乾隆(淸/高宗) 48년
○ 趙興鎭, 以備邊司言啓曰, 以雇工定制事, 草記批旨, 有至如雇主雇工, 犯科, 罪在雇工則視他加一等, 罪在雇主, 則視他減一等之說, 及凡於論勘, 家長之於雇工, 加於奴婢一等, 雇工之於家長, 減於奴婢一等云云。兩說俱有意見, 而曰加曰減, 未知議者本意在於合施何律, 自廟堂更加商確, 指一草記, 可也之命矣。雇工殺害雇主, 本有當律, 無容更議, 雇主殺害雇工之律, 一說則曰比殺奴婢, 宜加一等, 一說則曰比平人相殺, 宜減一等。以此兩說, 參考律文, 比殺奴婢加一等, 則律爲杖七十, 徒一年半, 此則失之太輕, 比平人相殺, 減一等, 則爲杖一百, 流三千里, 恐似合宜, 伏候上裁之意, 敢啓。傳曰, 依議施行。