승정원일기 1676책 (탈초본 89책) 정조 14년 4월 9일 기미 30/30 기사
1790년 乾隆(淸/高宗) 55년
○ 庚戌四月初九日酉時, 上御重熙堂。坐直承旨入侍時, 右副承旨尹行任, 假注書趙台榮, 記注官趙慶遠·金鳳顯, 以次進伏訖。上命書傳敎曰, 近來到配狀之首尾陸續者, 私掘露棺罪也, 雖以今日放未放啓本言之, 十之十, 卽厥罪, 雖由於邦禁蕩然, 睯不畏法, 嗜訟山地之徒, 亦豈必昔少今多而然乎? 此蓋各該道伯, 不欲行任怨懲一之政, 而不能嚴戢於未然, 事之駭然? 孰甚於此? 況在先朝, 制法之飭禁, 至爲截嚴, 則諸道擧行, 尤豈敢乃爾? 此後各道一年內, 以此事發配夥然者, 該道臣拿處, 不禁之守令, 同罪論, 收贖不發配, 只減配文名數, 致有現發, 則亦難免其責, 以此謄頒朝紙, 仍令該曹, 嚴飭諸道, 俾勿更犯。上曰, 抄啓文臣親試, 明日爲之。出榻敎 命退, 承史以次退出。