승정원일기 1678책 (탈초본 89책) 정조 14년 5월 2일 임오 18/31 기사
1790년 乾隆(淸/高宗) 55년
○ 以慶尙監司李祖源狀啓, 河東宮結徵稅査實事, 傳于李敬一曰, 纔已判下於原狀, 而因此思之, 直關之弊, 自有禁令, 詳載於大典通編, 而內司尤與外司自別。所謂句管者, 次知中官也, 名以官員者, 書題者流也。雖於京司文簿, 以書題爲之之故, 皆用牒呈, 元無通關之規, 況外邑乎? 近來若有行關於外邑之事, 不但大是越法, 又或直關則其罪當如何? 令廟堂査問內需司草記, 以懲後弊, 待草記批下, 與此傳敎, 行會該道, 俾無如前昧例之弊。