승정원일기 1683책 (탈초본 89책) 정조 14년 11월 10일 정해[병술] 24/32 기사
1790년 乾隆(淸/高宗) 55년
○ 申耆, 以兵曹言啓曰, 依下敎, 玉堂行首引陪使令李泰集, 決棍十五度, 當直書吏鄭益周, 行首羅將鄭世晃, 各決棍十度, 司憲府行首書吏許倫, 行首所由金鼎五, 司諫院行首書吏洪德眞, 行首喝道李載春, 各決棍六度, 而憑藉鑞牌, 恣意犯夜, 玉堂使令金羲大, 軍士光得, 各決棍十五度之意, 敢啓。傳曰, 竝放送。憑藉鑞牌, 恣意犯夜兩漢, 營底保授, 過辜限後, 加棍十五度, 移送該曹照律。三司連日爲之之合啓, 果是何冊之義理, 而渠輩雖蟣蝨之徒, 名以三司下隷, 則眞若成均館齋直, 慣聽之文句, 當知明義錄三字, 渠輩之犯禁, 豈不爲泮僕之罪人乎? 蟣蝨之徒, 亦不識明義錄之畏懼, 則義理之掃地尤可知。是豈但以犯夜言乎? 此後三司下隷之犯夜者, 原更數外, 重棍移送刑曹, 照律草記事, 卿及巡邏外營巡廳·捕廳知悉, 卽令書揭壁上, 仍以此傳敎, 載之政院軍士房故事·刑曹受敎謄錄, 可也。