○ 李祖承, 以兵曹言啓曰, 依下敎前仕內醫女未現出三名, 妓夫等, 一竝捉來, 終不自現委折, 嚴棍査問, 則捕校李仁夏所供內以爲, 醫女丹蟾, 免役率蓄矣。日前伏聞前仕醫女之還屬, 不無暫時避免之計, 內局現出時, 以近畿下往納供, 今於棍問之後, 不敢一向隱諱, 果卽現出, 罪死無惜云。捕校張鳳錫所供內以爲, 終蟾免役率蓄之後, 平日醫女等, 或問在京與否, 故以下鄕爲言矣。前仕醫女聞方復屬, 而旣以下鄕爲言, 卽地現出, 恐爲添罪之端, 昨日曉頭, 下送本鄕, 使之還卽上來矣。內局現出時, 果在本鄕, 定日率現納供, 今於棍問之下, 不敢隱諱, 一一直告, 而當初飾辭之罪, 萬死無惜云。李仁夏之隱匿渠家, 稱往近畿, 張鳳錫之率蓄京中, 而聞令下送者, 究厥所爲, 俱極巧惡, 竝移送秋曹, 使之嚴刑定配。丹蟾, 爲先移送秋曹, 待終蟾捉來, 一體遠地爲婢, 而至於月下仙, 査問其去處, 則曾爲崔致三爲名人率蓄云, 使之捉來矣。其兄致福, 來告內, 同生弟致三, 年前物故, 而月下仙則己酉年, 下去本鄕, 更不上來云, 故又爲査問本縣邸吏, 則下去的實, 渠所目見云矣, 敢啓。傳曰, 捕校所爲, 萬萬痛惡。過齋後移送刑曹嚴刑, 西北遠地充軍, 該醫女二名, 分等遠惡絶島, 限己身爲婢, 而醫女謀避者刑推, 濟州地定配, 卽藥院不易之法典, 而兩妓所犯, 比之尋常謀避之罪, 不啻十倍。在京尙不自現者, 嚴刑, 濟州爲婢, 知機稱以下鄕者, 他絶島嚴刑爲婢。若有逃禍上京之弊, 則地方官長, 當卽其地定配, 以此嚴飭。捕校之行惡, 雖曰匪今斯今, 特敎之下, 如是頑拒, 自有捕廳以來所未聞。行首所任捕校等, 令兼察捕將, 過齋後捉來, 從重決棍, 可也。