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승정원일기 1696책 (탈초본 90책) 정조 15년 11월 8일 기묘 24/27 기사 1791년  乾隆(淸/高宗) 56년

○ 辛亥十一月初八日午時, 上御熙政堂。刑曹堂上入侍時, 行都承旨趙尙鎭, 右副承旨申耆, 同副承旨李東顯, 假注書鄭尙愚, 記注官金良倜·承膺祚, 刑曹判書金尙集, 參判李時秀, 以次進伏訖。上命讀全羅監營査啓判付訖。尙集曰, 全羅監營囚推罪人尹持忠·權尙然等文案回啓, 旣有依所照律施行事, 判下矣。大臣收議及臣曹照律, 處斬則一也, 而有待時不待時之異, 何以擧行乎? 敢此仰達矣。上曰, 依大臣議施行, 可也。尙集曰, 兩賊正律, 不可一刻遲緩, 自臣曹知委本道, 一邊捧結案啓聞, 而卽爲擧行, 斷不可已, 更此仰達矣。上曰, 依爲之。出擧條  命書傳敎曰, 湖南尹持忠·權尙然用大辟, 旣從獄官之議律, 而渠之絶悖至凶, 無係乎不埋葬一款之浪傳, 毋論焚與埋, 用意下手於祠中之版者, 是可忍孰不可忍? 猶屬歇語, 以今民志之日渝, 正學之日蕪, 猶不料有此滅倫敗常之擧, 亦豈但曰, 不遜而不親乎哉? 戊寅海西之事, 特不過村氓野婆輩無知沒恥之犯, 而·兩豎, 尤與賤類自別, 則其爲彝常之變, 當如何? 此所以判下曹案也。先以治化之未敷, 瞿然發歎者, 其在明天倫正人心之道, 宜有別般懲惡之典, 事屬綱常, 何拘格例乎? 全羅道珍山郡限五年降縣, 置之五十三官之末, 該守令任其作罪, 其敢曰, 在官不知乎? 不可以渠先摘發, 有所寬恕待決末處之爲批, 該郡守先罷其職, 仍令該府拿問, 照法重勘, 至於火其書之請, 旣從刑官筵奏而使之火之, 寧有徒法自行之理乎? 家藏者告官自首, 自首者勿問, 自今日屬之昧爽以後者, 施以重辟, 竝家長勘罪, 斷不饒貸事, 載之金石之典, 而自廟堂先自部內坊曲, 嚴明知委, 外方一體頒示, 今則處分旣嚴, 而所謂邪學事, 可謂出場, 復以如此如彼之說, 登徹於公車, 致煩酬應, 反非不事之義, 以此分付。向於臺啓相箚之批, 申申以衛正學三字, 爲闢邪說之急務, 言似迃遠, 意實深長, 今於兩豎用大辟之後, 其所扶植闡發之策, 不可以迃遠而忽之, 昨見抄啓文臣對策中, 有一券之以林下隱跡者, 先試郞潛邑吏爲救措, 此說深有槪焉, 欲待査事出場, 而用其言矣。珍山見窠, 以抄選中人差遣事, 分付銓曹, 又於筵席, 語到端本之方, 大臣請以學習經傳, 尊尙·, 固窮不染於流俗者, 拔例晉擢, 大臣之言誠好矣。令廟堂抄選讀書之士以啓, 式年不遠, 此其時也。道內飭躬修行之士, 亦令廟堂, 嚴飭諸道方伯, 勿循前套, 實心對掦, 先試郞潛而可堪, 次試字牧而可合, 推以至於備顧問, 亦足當其任者, 式年原薦外, 雖一二人, 各別搜訪, 期於歲前登聞事, 分付。尙集曰, 湖南兩罪人, 旣用大辟, 明正典刑, 不但一方人士庶幾知戢, 毋論京外, 設有傳習邪學者流, 必有大懲創之效, 而至於拔本塞源之道, 終莫如痛禁其書, 其書不傳, 則其學自絶, 臣意則遍搜坊曲, 投諸水火, 而自首者, 則付之令前, 一竝勿問, 若或有不卽現納, 從後被捉者, 自臣曹依律勘斷之意, 預先嚴飭, 何如? 上曰, 依爲之。火其書, 豈待卿言, 而年前禁西學事, 備局回啓判付中, 名曰, 火其書, 一有見漏, 反損法紀爲敎者, 出於令出惟行之意, 而今則近於干戚, 暋不知畏, 烏可不用重典? 當別下傳敎定制, 自卿曹爲先知悉。京中限二十日, 諸道各計令到二十日之限, 家藏者告官焚之, 昧爽以後, 若有現發於匿置者, 自有當律, 卿其嚴飭坊曲, 俾無不聞知之弊, 外方一體行會, 限後犯科, 監司守令, 竝當坐論, 亦爲分付, 可也。出擧條  命尙鎭書傳敎曰, 左副承旨聞有應避之親嫌, 許遞, 前望單子入之, 待下批, 牌招察任, 命書榻敎曰, 政官牌招開政。命退, 諸臣以次退出。