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승정원일기 1699책 (탈초본 90책) 정조 16년 2월 11일 경술 50/57 기사 1792년  乾隆(淸/高宗) 57년

○ 領敦寧洪樂性箚曰, 伏以皇天眷佑, 聖候康復, 夬許諸臣之召接, 仍命醫官之入診, 俾屢日焦遑抑塞之群情, 得以一朝夬釋, 歡聲喜色, 洋溢朝野, 蹈舞慶忭, 曷有其極? 臣罪重幸逭, 泥首竢勘, 譴罰未降, 恩批猥蒙, 感惶悚蹙, 罔知攸措, 而誠切承候, 他不暇顧, 徑詣求對, 未蒙晉接, 不懷抑鬱, 不任瞻望之至。第伏見傳敎下者, 有押配喬桐之命, 臣不勝驚惋錯愕。豈料聖明, 又有此萬萬過中之擧也? 噫嘻, 彼妖者, 果何等凶賊, 而何等惡逆也? 自古亂臣賊子, 亦復何限, 而豈有如·兩賊之陰憯妖毒, 不可一日容置於覆載之間者, 則之臥斃牖下, 之至今假息, 莫非臣等玩愒不忠之罪也。顧今伸天討正王綱之道, 惟有追施逆孥籍之典, 亟正凶邦刑之律, 小洩神人之憤, 則耽羅遠配, 尙不可議及, 況彼喬桐, 名雖海島, 實是畿邑者耶? 又況喬桐, 切近於沁都, 則尤有不可者存焉。始者此賊之凶謀一行刀割 凶圖, 勢所必至矣。爲宗社邦國之計, 豈不大可懼而大可畏哉? 殿下如以臣言爲不可, 則請觀於今日之人情。大臣旣陳沐浴之請, 三司繼發爭執之論, 上自朝紳, 下至輿儓, 莫不沬血飮泣, 不願與此賊共戴一天矣, 殿下何爲而獨惜此已結案之一罪人, 而違拂人心, 至此之極也? 嗚呼, 四百年王法之伸與不伸, 環東土人紀之正與不正, 亶在今日之一擧, 則殿下又何爲而謬加寬典於幺麽逆豎, 不恤王法之不伸, 人紀之不正, 自今日伊始也? 伏乞聖明, 念宗社邦國之大計, 廓揮乾斷, 亟從三司之請, 使王法夬伸而人紀賴正, 千萬幸甚。仍伏念臣之伊日去就, 實與僚相, 少無異同, 則其被罪罰, 不宜差等, 而僚相獨蒙嚴勘, 賤臣尙今倖免, 縱臣靦然無愧, 放倒廉隅, 彈冠束帶, 出入禁扃, 在朝家賞罰之權衡, 亦豈無低仰失平之歎乎? 況復三提擧之新命, 尤不勝驚悚慙忸, 無地自容, 而奪彼之官, 予此同罪, 豈不大有乖於綜核之政哉? 臣雖欲憑恃寵靈, 晏然兜攬, 其奈聽聞之駭惑, 物議之嗤點, 何哉? 至於禦營提擧, 兩軍門不得兼管, 卽是不刊之法例, 而向所蒙體諒者, 則尤不容歷日冒據也, 明矣。玆不得不冒死付陳。伏願亟降威罰, 鐫削臣職, 仍命攸司, 同勘臣罪, 以肅朝綱, 以安賤分焉。取進止。答曰, 省箚具悉卿懇。今番事, 豈樂爲乎? 箚中自引, 過矣。軍門提擧之無得疊帶, 自有先朝受敎定式, 卿之禦營兼管, 勉副, 卿須安心穩攝。仍傳曰, 此批答, 遣史官傳諭, 禦營都提擧之代, 以右相察任事, 從事官發牌, 分付。