승정원일기 1710책 (탈초본 90책) 정조 16년 10월 30일 을미 27/31 기사
1792년 乾隆(淸/高宗) 57년
○ 金孝建, 以義禁府言啓曰, 時囚罪人閔光暹, 告身盡行追奪, 徒三年定配, 又五年禁錮照律公事判付內, 依允啓下矣。閔光暹告身盡行追奪, 又五年禁錮, 忠淸道德山縣汲川驛, 徒三年定配, 而以本府議啓內辭意, 具罪目依例發遣府羅將, 押送配所, 何如? 傳曰, 聞其爲弊, 非渠所犯, 且凡禁錮云者, 欲令知罪, 使之改圖之謂也。今若於渠三年徒配, 五等奪告身, 除却五年半, 而加以禁錮五年, 則將至十年半, 如渠過年限者, 八十前何以着帽乎, 八十亦豈易乎? 旣非限己身之律, 則宜有闊狹, 禁錮, 分揀, 此後過年限守令, 用此例定式施行, 而照律文書, 以此判付措語, 此乃法欲信而兼寓絜矩之政也。以此知悉, 可也。