승정원일기 1711책 (탈초본 90책) 정조 16년 11월 19일 갑인 17/32 기사
1792년 乾隆(淸/高宗) 57년
○ 李書九啓曰, 臣敬奉聖敎, 馳詣義禁府, 取考囚徒案, 則時囚罪人金履恭, 以北部都事座更軍苟充事也, 姜碩儒, 以禁衛哨官座更軍, 不爲隨更呼點事也。所坐雖不甚重, 今纔就囚, 故竝姑爲仍囚, 仍詣刑曹。取考典獄署囚徒案, 則緣坐罪人一名, 傳敎罪人一名, 結案罪人一名, 殺獄罪人一名, 僞作批旨罪人一名。俱係重罪, 竝爲仍囚, 輕罪則無一人在囚之意, 敢啓。傳曰, 知道。金履恭, 考律以公罪, 功議區別勘放, 姜碩儒, 該營旣棍汰, 亦爲放送。因此思之, 名雖拘留, 實則囚繋。前此飭敎亦申嚴, 而此等放釋, 不爲擧論, 此後令廟堂, 各別嚴飭, 越法者, 隨現草記論罪, 可也。