검색
상세검색 문자입력기
승정원일기 1714책 (탈초본 91책) 정조 17년 2월 8일 신미 19/27 기사 1793년  乾隆(淸/高宗) 58년

○ 傳于申耆曰, 向見耽羅運穀狀啓, 知風利齊發, 滿心欣幸, 而到泊形止之鱗次登聞, 夙宵一念, 方以此懸懸, 令廟堂分付該道, 嚴飭都會官, 使卽探問狀聞。咸平船之先到越邊一款, 該伯之啓, 更無皁白, 身居分憂之列, 若體宵旰之心, 探何遲也? 新到之後, 譽無入聞, 怠反如許, 特畀之意, 果安在哉? 況賑民還民之俱困, 湖南爲甚云者乎? 全羅監司KC03045, 推考。俄於新除備堂違牌事, 亦有下敎, 而嶺伯卽亦含假中一人, 考其治績之能否, 先遣繡衣, 還曰否, 次遣之繡衣, 亦曰云然。特從三思之義, 繡衣之第三遣者, 一兩日內當發程, 蓋欲憑兩說以驗之, 如欲乘馹踰嶺, 歸對前席, 益思贖罪之方事, 嶺伯處, 嚴飭。