승정원일기 1724책 (탈초본 91책) 정조 17년 12월 24일 계미 17/25 기사
1793년 乾隆(淸/高宗) 58년
○ 以全羅監司李書九狀啓, 圖出楷條假稱宮監宮差之柳根得等, 自臣營照律痛繩, 次知內官金壽剛罪狀, 令攸司稟處事, 傳于宋銓曰, 嚴飭何如, 則雖曰踏條不踏圖署, 其爲宮屬之作奸一也。令道伯符同諸漢, 嚴繩懲後, 其中宮屬金福伊·柳根得爲名漢, 爲先絶島爲奴, 仍令完伯除尋常各別嚴刑發配。柳完得之逃躱云者, 尤爲痛駭, 令捕廳捉得下送, 該道亦爲嚴刑爲奴。毋論知與不知, 身爲次知中使, 其敢逃其罪乎? 畿沿定配辛亥受敎, 何等截嚴, 除非柴穀催促, 毋敢成送圖署, 旣有定式, 則法外之圖署, 猶當不問本事曲直, 卽地報營, 以爲如法勘處之地, 況踏條之牌子乎? 不有定式, 徒事詳探, 至有民詐之後, 始乃報營, 若無民詐, 其將掩置乎? 違制之律, 焉敢逭也? 該郡守宋厚淵, 令該府拿問, 施以當律, 亦令廟堂, 枚擧嚴飭該道外諸道。