승정원일기 1730책 (탈초본 91책) 정조 18년 5월 7일 계사 13/16 기사
1794년 乾隆(淸/高宗) 59년
○ 李羽晉, 以義禁府言啓曰, 頃因濟州前牧使李喆運事, 姜鳳瑞事, 竝令收議大臣事, 命下矣。領議政洪樂性以爲, 姜鳳瑞雖臺閣, 論劾城主, 大關風化, 況其言或爽實, 難免構誣, 則有不可以臺職, 有所饒恕, 而旣是言官, 則又不可直以土民, 按法照律宜有參量輕重, 以敷敦俗之化於重溟之外, 而此則實非愚迷之見所可臆定者, 伏惟上裁云。領中樞府事蔡濟恭以爲, 姜鳳瑞事, 臣之愚見, 與領相獻議, 無少異同, 不必架疊云矣。姜鳳瑞身爲臺諫, 疏陳民隱, 固是職分內事, 觀其旨意, 專在臚列地主之罪, 而所謂悖說月日, 旣已相左, 至於諸般不法之事, 繡衣査啓, 事實間或差違, 數爻雖多增衍, 而亦非專出搆捏, 李喆運罪犯狼藉, 旣被重勘, 則鳳瑞不可直歸於構誣之科, 而第伏念官民之間, 名分自別, 絶海之陬, 風化尤重, 後弊所關, 不可只以臺言爽實, 有所寬恕, 姜鳳瑞拿問定罪, 何如? 傳曰, 允。