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승정원일기 1732책 (탈초본 91책) 정조 18년 7월 18일 계묘 27/33 기사 1794년  乾隆(淸/高宗) 59년

○ 禁府啓目, 前敦寧參奉元有朋原情云云。傳旨內辭緣, 泛稱遲晩, 刑推得情, 何如? 判付啓, 土地折受, 本非自下擅爲之事, 其律至嚴兺除良, 年前新有定式, 尤何等截嚴, 則渠是何人, 乃敢無難冒法, 言於堂上乎? 堂上之樂聞於救弊之際, 循例漫題, 不是異事, 渠雖末蔭, 卽亦士夫, 則犯科於田土之事, 甘爲毁蔑常憲之人, 由前由後, 萬萬痛惡, 卽其地高城郡, 勿限年定配, 仍施禁錮之典爲旀, 名以受敎, 則爲京外有司之臣者, 當信如金石, 奉若拱璧, 守而勿失, 莫敢差跌, 卽臣分之所固然是去乙, 此雖微事, 所以設禁之本意, 出於爲民邑也, 杜奸竇也, 未見入啓文蹟, 乃敢依例擧行, 若此則法將焉用? 卿等取考受敎, 當該觀察使以下冒犯者, 勘以定式之律, 卽爲草記, 將此判付廟堂, 申明嚴飭京外, 俾作他山之石爲良如敎。