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승정원일기 1743책 (탈초본 92책) 정조 19년 4월 2일 임오 22/35 기사 1795년  乾隆(淸/高宗) 60년

○ 以濟州牧使李禹鉉狀啓, 漂人等生還之後, 始乃覺得, 惶恐待罪事, 傳于金載翼曰, 勿待罪事, 回諭。李晩秀, 以禮曹言啓曰, 雜科覆試, 本曹三堂俱進事, 曾有定式矣。今此式年, 雜科覆試, 今日當爲設場, 而參判李集斗, 謂有情勢, 參議朴宗甲身病猝重, 不得備員開場, 令政院卽速稟旨, 牌招, 何如? 傳曰, 判堂自多擧行, 勿爲進去。參判·參議許遞, 前望單子入之, 令政院, 待下批牌招進去, 可也。