승정원일기 1744책 (탈초본 92책) 정조 19년 5월 6일 병진 15/15 기사
1795년 乾隆(淸/高宗) 60년
○ 乙卯五月初六日巳時, 上御重熙堂。同副承旨入侍時, 同副承旨李肇源, 假注書具得魯, 記注官方易·金錫泰, 以次進伏訖。上命書傳敎曰, 尋常滯獄, 在所提飭。況抱冤婦女之駕側鳴錚者, 去去月之事, 尙不捧供, 豈有如許訟曹乎? 其間衆所共知情勢外, 無端不爲捧供之判堂, 爲先査出, 捧現告緘辭從重推考, 憲府諸臺, 卽爲牌招發緘, 以示重民命嚴獄體之義。此後擊錚公事, 若値判堂有故之時, 雖無特敎之當日捧供, 曹郞來言, 次堂例不得擧行, 何以爲之之意於該房, 以爲啓聞變通之地事, 定式, 禁府照此事, 分付, 俾載受敎謄錄。仍命退, 承史以次退出。