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승정원일기 1762책 (탈초본 93책) 정조 20년 4월 11일 병술 28/29 기사 1796년  嘉慶(淸/仁宗) 1년

○ 丙辰四月十一日卯時, 上御重熙堂。諸承旨持公事入侍時, 左副承旨李肇源, 記事官柳遠鳴, 記注官金良倜, 記事官吳泰曾, 以次進伏訖。上曰, 該房公事幾度。肇源曰, 啓本一張矣。上曰, 入侍則以諸承旨持公事書出乎? 肇源曰, 然矣。肇源讀奏江原監司徐有防啓本, 罪人金啓澤, 金化縣到配事。命書判付, 仍命肇源先退。上曰, 左承旨入侍。賤臣承命出傳, 左承旨李書九進伏。上曰, 近因多事, 未及從容召接, 詳問湖南民事矣, 珍島邑事, 幾年可以蘇弊乎? 書九曰, 再昨秋歉荒, 大抵挽近所無, 而昨年以後, 屢煩蠲恤之惠澤, 卽今民勢, 雖未知何如? 而年限則未敢預期矣。上曰, 麥事何如云耶? 書九曰, 湖南專種秋牟, 左道山郡若而處, 或種春牟, 而近聞本道消息, 右沿茂長以下諸邑, 僅免大無, 而其餘則皆將判歉云, 誠甚悶然矣。上曰, 麥事又如此, 豈不悶甚乎? 書九曰, 牟還似難準捧矣。上曰, 然則勢必以作租爲請矣。書九曰, 此外, 雖無他策, 而秋成姑難預知, 民事貴在備豫, 作租亦不過紓力之計而已, 況今耽羅移粟之後, 一路穀簿, 漸益枵然, 是尤悶念處矣。上曰, 羅里浦倉, 若在臨陂, 則移轉之弊, 或不至如此乎, 羅里穀之耗縮, 專由於涼藿之不能準輸, 卽今未捧條, 果爲幾許耶? 書九曰, 甲寅移轉後, 涼藿則因本牧狀請, 旣有停退之命, 其前則, 別無未收條矣。大抵該倉在臨陂時, 地方官主管, 故積弊漸生, 穀簿太縮, 近年則, 自監營句管矣。丁未因濟州武臣金貴澤所懷, 始移羅州, 而其實則羅浦穀, 有名無實, 卽今會付者, 未滿千石, 而此亦年前道臣鄭民始, 爲營邑監色放料之資, 以常賑穀, 報京司劃付者也。又有監營句管添船價條, 通稱羅浦穀, 其數爲數萬石, 而此則每年耗條, 或移作蕩債, 各有需用之處, 移轉則無年不有亦將有難支之慮矣。上曰, 卿在任幾朔。書九曰, 二十三朔矣。命書傳敎曰, 旣問大臣, 其在禮使之道勢難强迫, 平安監司李亨元許遞, 其代, 今日議薦。仍命退, 承史以次退出。