승정원일기 1821책 (탈초본 96책) 정조 24년 윤 4월 12일 갑자 16/20 기사
1800년 嘉慶(淸/仁宗) 5년
○ 禁府啓目, 忠州前牧使安廷鐸原情云云。問目內辭緣, 泛稱遲晩, 刑推得情, 何如? 判付啓, 厥鍰用處之渠之用於私, 與道伯之用於書院, 兩者之涇渭揭厲, 都無論, 有國之堂陛, 如人之有上中下三焦, 萬有一, 各相奪倫, 於爲國爲人何哉? 砭下者, 以躗言反詈, 治校則以惡談相加, 以至上營, 推捉公兄, 防報不送, 而其漸不可長。此囚段, 畿沿徒配, 自今下官之如右三倅罪過者, 依投印律, 受敎定式, 直請, 令攸司, 依受敎律勘斷事, 分付諸道營閫, 仍載受敎爲良如敎。又啓目, 保寧縣監韓永逵原情云云。傳旨內辭緣, 泛稱遲晩, 所當請刑是白乎矣, 曾經侍從, 勿爲請刑, 載在大典通編, 議處, 何如? 啓, 依允。