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승정원일기 1841책 (탈초본 97책) 순조 1년 9월 29일 계묘 22/26 기사 1801년  嘉慶(淸/仁宗) 6년

朴宗輔, 以備邊司言啓曰, 今此濟州牧漂到異國人, 以言語以文字, 皆無問情通志之路, 則欲加叩詰, 徒致留帶之弊, 依年前琉球國漂人已例, 卽從陸路, 入送北京爲宜。所着衣袴, 朝夕供饋, 禁雜人, 護送等事, 令所經各道道臣別定差員, 申飭擧行, 以示朝家綏遠之意, 譯官一人, 令該院別定勤幹能通外國言者, 給馬下送于湖南都會官, 待漂人越海問情後, 仍與差員眼同領來, 咨文亦令槐院預爲撰出, 以領來譯官, 仍差齎咨官, 以爲入送北京之地, 何如? 傳曰, 允。