○ 李錫夏, 以禮曹言啓曰, 再昨年五月, 因濟州牧察理使李在秀別單, 備邊司覆啓內, 孝烈事, 令該曹稟處事, 允下矣。 取考其原別單, 則濟州良人林成彦, 事父母盡誠, 及父病重, 仰天祈命, 仍又斷其五指, 以血灌口, 奄奄幾絶之命, 得延三日。 濟州故牧子高允文, 以獨身奉偏母, 而身役最煩, 每當赴役, 必備置糧饌, 以爲母朝夕之資, 及其歸也。 問其飢飽, 若云不飽, 則必驚遑丐貸, 以必飽爲度焉, 其母性急, 常多怒叱, 頻以杖笞之, 則恐益母怒, 坐受其杖, 不現苦色。 年旣壯, 人多勸其娶妻以養母, 則曰如其娶妻而不合於母心, 不若鱞居而養志也, 終不娶焉。 島中有識者, 謂以其所不娶, 雖出於不學之致, 而至於出天誠孝, 莫不稱美。 旌義將校玄胤慶, 父老而癃病, 長在床笫, 晨昏定省, 以順其志, 左右扶將, 以便其身, 躬自執㸑, 煎粥煖酒, 每夜不寐, 時以進供, 如是四五年, 無所懈惰, 及病劇, 割指出血, 和米飮而灌諸口, 以延數時之命。 濟州故儒生田衡元妻梁氏, 夫病危篤, 日夜祝天, 願以身代, 夫竟不起, 則纔過成服, 杜門絶粒, 及其夫葬之前一日, 從容就死, 與夫同穴。 濟州故儒生吳隆復妻金氏, 其夫病劇, 奔走救療, 終至不救, 則以其遺子, 托於奴婢, 仍廢食飮, 未滿一月, 自經以從, 與夫同穴。 濟州故吏孫處權妻朴召史, 自其適夫, 敬之如賓, 斗屋, 雖無內外之別, 而言笑之聲, 不出戶外, 人莫不奇之。 其夫忽得重疴, 須臾之間, 遽至不起, 則卽地自經, 與夫同穴。 大靜故儒生金昌銀妻金氏, 夫病危篤, 則禱天願代, 及喪, 襲歛之節, 躬檢如禮, 抱其子而乳之曰, 汝須善事祖父母, 至于啓殯之日, 以同歸之言, 告于柩前, 而自縊下從云矣。 島俗素稱淳古, 而以孝以烈, 蓋多其人, 地是王化之所遠曁, 事亦人紀之所大關, 其在扶植之道, 宜有特異之擧。 濟州良人林成彦, 旌義將校玄胤慶, 竝施復戶之典。 濟州故牧子高允文, 故儒生田衡元妻梁氏, 故儒生吳隆復妻金氏, 故吏孫處權妻朴召史, 大靜故儒生金昌銀妻金氏, 竝施綽楔之典, 恐合事宜, 而事係恩典, 臣曹不敢擅便, 上裁, 何如? 傳曰, 依草記施行, 可也。