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승정원일기 2223책 (탈초본 113책) 순조 27년 11월 17일 무오 37/37 기사 1827년  道光(淸/宣宗) 7년

○ 丁亥十一月十七日辰時, 王世子座重熙堂。 常參入對時, 行都承旨朴晦壽, 左承旨金炳朝, 右承旨朴永元, 右副承旨鄭知容, 同副承旨尹聲大, 原任提學朴綺壽, 檢校直閣李嘉愚, 假注書金鼎集, 記事官李根友·成遂默, 先行再拜禮, 以次陞堂就座, 贊儀唱常參官入就拜位, 東班右議政李存秀, 漢城判尹趙鍾永, 左參贊洪羲俊, 禮曹參議洪穉圭, 獻納金大坤, 禮曹正郞金聲, 吏曹佐郞金聖謙, 戶曹佐郞權曦, 監察朴在皥, 司錄李培林, 西班兼工曹判書李羲甲, 兵曹判書南履翼, 刑曹參判李奎鉉, 兵曹正郞朴宗休, 刑曹正郞李海存, 工曹正郞鄭東萬, 以次入就位, 贊儀唱再拜, 常參官以次行禮如儀訖, 贊儀唱有達事官陞堂, 無達事官退出, 存秀·大坤, 以次陞堂進伏, 其餘退出。 永元曰, 今日常參, 吏曹參判金鏴, 旣已懸進, 不爲入參, 事甚未安。 推考, 何如? 令曰, 依爲之。 出擧條 存秀曰, 日氣連爲不調, 大殿聖體, 若何? 令曰, 安寧矣。 存秀曰, 寢睡·水剌之節, 何如? 令曰, 安寧矣。 存秀曰, 中宮殿氣候, 何如? 令曰, 安寧矣。 存秀曰, 日前纔過賓對, 今又侵早勞動, 睿體, 若何? 令曰, 一樣矣。 存秀曰, 臣猥膺隆簡, 虛縻重任, 洽過半年, 初無一言一事之, 上而裨補睿德, 下而革去民隱, 禮有施報, 義有名實, 而徒被恩遇, 有施而無報, 顧其官職, 有名而無實, 愧懼之心, 恒切于中, 今日常參, 行於久停之餘, 實出於勤政之睿念, 臣雖有狗馬賤疾, 何敢言病, 而領左相, 旣不入參, 臣不敢獨自入來, 再承睿令, 他不暇顧, 冒沒登對, 而以臣空疎, 有何謀猷, 可效螢爝之補乎? 日前賓筵, 領相以元孫宮之以身敎之, 日三講之無或作撤, 有所仰達, 今日之急先務, 莫大於此也, 臣亦豈有他言之可以仰裨乎? 蓋君子之道本諸身, 身正則百官萬民無不正, 況於元孫宮之親且切乎? 止慈之德, 貴在立敎, 立敎之道, 莫如修身, 邸下凡於一言之發, 必曰元孫宮之所當法, 一事之行, 必曰元孫宮之所當觀, 造次之際, 跬步之間, 常思受之而可法, 監之而可師, 則視聽呼吸, 一氣無間, 斅學之親切, 孚感之敏速, 表端影正, 理固自然, 且夫愛之切而欲觀其知思之漸長, 則易試以誑, 喜之深而欲見其嬉笑之供悅, 則易加以戲, 文王之生有聖德, 以其有胎敎也, 胎中尙可有敎, 況於今日, 豈可忽導迪之道乎? 視必無誑, 言必無戲, 則智慮日長之後, 聲律身度, 不言而喩, 其理孔昭矣, 臣之以此說, 爲今日急先務者, 眷眷愚忱, 非但在於敎導元孫宮而已, 程子曰, 成就君德, 責在經筵官, 非講學, 無以成就君德故也, 況今睿學, 未及躋於光明緝熙之域, 雖日勤三講, 尙恐有不足之歎, 又其餘暇, 行召對夜對, 使此心湊泊於冊字之上, 罔或間斷, 可也, 而一日一講之不設, 亦已久矣, 臣於今夏, 以勤講學一事仰奏, 只承開納之睿答, 未見遵行之實效, 臣不勝耿耿憂歎, 待登筵更欲仰陳愚悃, 日前伏聞開筵於許久停閣之餘, 睿念若悔旣往之虛度, 繼自今連日開講, 則誠宗社之萬幸, 苟或旣始而旋停, 如前者之爲, 則雖曰開講, 非但十寒一曝而已, 安有典學之效乎? 講讀設或有厭倦之心, 勉勉克將去, 一日二日, 視以當行之事, 久久成習, 則自有樂此不疲之心矣, 雖委巷韋布之有志於場屋小技者, 尙能抑其厭而勉就之, 邸下上有宗祧之托, 下係生靈之望, 國家之治忽, 民生之榮壞, 在於睿德之成就, 睿德之成就, 在於講學之日勤, 邸下念及於此, 則書筵豈可一日間斷乎? 伏望深留睿念, 無若旣往之暫始而旋撤, 期有實效焉, 且伏念雖非開講, 深宮燕閑之中, 設有看讀之工, 若非經傳與正史, 則是無益於身心, 無補於治理者也。 朱子曰, 勿看雜書, 恐分精力, 經傳正史以外, 便是雜書也, 申伏望看讀, 必以經傳與正史爲主焉。 令曰, 所陳諸言, 出於忠愛, 當體念矣。 出擧條 存秀曰, 曰, 臣爲上爲德, 爲下爲民, 上以裨補君德, 下以懷保生民, 卽人臣之職也, 臣於此二者, 無一可效之見識, 誠不勝惶愧之至, 朱子曰, 生民休戚, 係於守令, 守令賢否, 係於監司, 擇守令卽保民之要道, 而許多守令, 難保其一一擇差, 且或差遣之初, 雖或似擇差, 及其臨民之後, 大違始料者, 亦多有之, 此專由於勸懲之不明, 勸懲之道, 在於殿最之公嚴, 朱子所云, 守令賢否, 係於監司者, 非謂爲監司者, 指授政術於守令, 使守令皆賢也, 以其黜陟, 在於監司, 故有勸懲之效而然也, 見今考績當前, 諸道監司, 必精白一心, 對揚朝家委畀之至意, 而預以此意, 出擧條另飭, 使之益盡嚴明之道似好, 臣於月前, 以徵族嚴禁, 一遵法典施行, 如有犯者, 則黜之於考績之意, 有所仰達, 承依爲之之令敎, 知委各道矣, 近聞或有恪遵之處, 或以爲徵族之禁不可用, 一切之法, 擅自闊狹於朝令申明之下云, 事之痛駭, 莫甚於此, 徵族之禁, 非臣之臆見仰奏也, 卽國典也, 非但國典也, 先正臣李珥, 陳疏於宣廟朝, 痛言徵族之當禁, 至曰雖使朝廷淸明, 政事修治, 此弊不除, 則民將盡散, 國無可依, 先正之道德經濟, 卽百世之師也, 先正之論旣如此, 以不敢自信而信其師之義, 宜無敢更有他議, 而爲守令者, 有或遵或不遵之弊, 更爲嚴飭於諸道監司處, 無論軍糴與賦稅及諸般公債, 如有違越於申明之禁令者, 切勿饒貸於殿最之意, 措辭嚴飭, 何如? 令曰, 依爲之。 出擧條 存秀曰, 莊陵奉審年次, 在於今年, 禮曹堂上進去之意, 自該曹草記依下, 而間因該曹堂上之遞易, 趁未進去矣, 係是五年一次奉審, 局內形址, 竝當周審, 而今已冬深, 氷雪堆積, 實有相妨, 或値事故, 則退期爲之, 亦多已例, 姑待明春擧行, 恐合事宜, 以此分付, 何如? 令曰, 依爲之。 出擧條 存秀曰, 有達事官陞堂, 無達事官退出, 自是常參之規例也, 旣無可達之事則退出, 豈曰不可, 而今日常參, 無一人陞堂奏達, 苟如是也, 常參之規, 行禮後, 竝當直爲退去而已, 何必有有達事陞堂, 無達事退出呼唱之儀節也, 常參行之於久停之餘, 而殆不成朝儀, 不可無警, 今日入參之諸司堂上, 竝從重推考, 何如? 令曰, 依爲之。 出擧條 大坤曰, 臣以李肇源·金基敍等事, 去八月, 適當館銜, 賓對有令, 至登前席, 有所仰達矣, 以其時所奏, 更爲陳達矣, 令敎中有曰, 爲賊爲逆, 明若觀火, 渠輩之凶謀逆節, 我邸下, 亦已洞悉無餘, 而勘律則止於荐棘, 自祖宗朝以來, 未有如此刑政, 夫法者一國之平也, 一傾, 一國用法, 皆爲之輕重, 罪重而刑輕, 非所謂平也, 罪輕而刑重, 亦非所謂平也, 雖以人主之尊, 不可低仰於其間, 若有一分低仰, 而在下內外有司之臣, 將何以責備乎? 我邸下, 何不念及於此乎? 以臣愚昧之見, 尤有所憂歎者也, 伏願更加三思, 亟降處分, 夬正當律焉。 令曰, 傳達與求對, 俱是懲討, 而事面之典重, 傳達尤重, 且獨臺請討, 事甚草率, 出往臺廳, 卽爲傳達, 可也。 出擧條 炳朝曰, 登筵臺臣, 初不傳達, 而奏達之際, 亦有所做錯, 事甚未安。 推考, 何如? 令曰, 依爲之。 出擧條 大坤曰, 臣言議風采, 本不合於淸朝耳目之任, 而納言除旨, 忽下於夢想之外, 常參有令, 冒沒出肅, 至登筵席, 進前之時, 擧措失當, 至有承宣請推之擧, 臣滿心慙恧, 無地自容, 以此情踪, 何可一刻晏然於臺次乎? 請令遞斥臣職。 令曰, 依達。 出擧條 大坤退出。 令曰, 大臣先退, 存秀退出。 令曰, 下直邊將入對。 出令旨  令曰, 公事入之。 賤臣承令出傳, 持公事入來進伏, 廢茂山萬戶趙寬淳, 進立階下。 令曰, 職姓名六事奏之。 寬淳奏職姓名六事訖。 令曰, 宣諭。 炳朝承令宣諭訖, 寬淳退出。 令曰, 公事奏之。 晦壽曰, 吏房無公事矣。 聲大曰, 戶房有公事一張矣, 讀奏濟州牧使李行敎狀達, 災實分等事。 永元曰, 禮房有公事一張矣, 讀奏濟州牧使李行敎狀達, 大靜縣旗牌朴時喆等漂流事。 炳朝曰, 兵房有公事一張矣, 讀奏濟州牧使李行敎申本, 邪學無乎事, 仍親達下。 炳朝曰, 代房刑房無公事矣。 知容曰, 工房無公事矣。 令退, 承史以次退出。