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승정원일기 2677책 (탈초본 127책) 고종 1년 5월 14일 계축 17/19 기사 1864년  同治(淸/穆宗) 3년

○ 持平愼栽祐疏曰, 伏以臣本以海隅微蹤, 濫竊科第, 歲纔一周, 又蒙不次之擢, 榮耀已極, 揆分不稱, 惝怳踧踖, 靡所容措, 亟令遞改, 以安微分焉。臣方丐免, 何敢妄陳瞽說, 而臣是濟州人也, 事在目下, 有不容泯默, 玆敢仰籲於聽卑之天, 伏乞聖明垂察焉。惟我濟州, 僻在遐陬, 粵自列聖朝, 特蒙懷綏之澤, 擧切愛戴之悃, 今我聖上一元之初, 新設慶科, 八域多士, 就如雲日, 傳敎內曰, 各書道名, 又書濟州, 凡居濟州人士, 莫不蹈舜歡忭曰, 此誠移孝爲忠之會也。及伏見榜眼, 所謂具星喜爲名者, 敢稱濟州幼學, 圖占參榜, 豈有如此無嚴之習哉? 若其眞箇濟州人, 則臣豈不知, 而亦豈不聞其姓名也哉? 古之名臣, 有不許增年, 有不許開封貫籍者。稱以士子, 乃於進身之初, 冒稱居住, 敢犯欺君之罪, 是可忍也, 孰不可忍也? 臣以爲具星喜, 不可仍置, 亟施當律, 以懲不忠之罪, 以泄公共之憤焉云云。省疏具悉。朝家之軫念遠人, 與他自別, 而乃有此等奸弊, 極爲駭然, 當有處分, 爾其勿辭察職。