검색
상세검색 문자입력기
승정원일기 2859책 (탈초본 132책) 고종 16년 2월 12일 병술 22/24 기사 1879년  光緖(淸/德宗) 5년

○ 行大司憲李寅命疏曰, 伏以臣於病淹之中, 忽伏奉都憲除旨, 顧臣言議風采, 果有毫末髣髴於是職, 而一叨再叨, 至於屢叨乎? 且感且恧, 不知爲辭, 卽伏見傳敎下者, 有崔益鉉·趙秉昌·鄭泰好, 卽爲停啓之命, 召牌踵臨, 固當不俟駕屨, 而第臣區區私義, 竊有所難安者, 楸子島安置罪人趙秉昌, 卽臣之妻三寸叔也, 昨年之曾縻是銜也, 以舊啓之無以冒參, 至於引避, 幸蒙遞斥矣。 今日處分之下, 欲守臺體而爭執, 則反乖於前日之避嫌, 欲奉成命而亟停, 則恐涉於自己之循私, 以若情踪, 實難左右, 玆敢不揆猥屑, 忙陳短章。 伏乞聖明, 俯賜鑑諒, 特許鐫斥, 不勝幸甚, 臣無任云云。 答曰, 省疏具悉。 所請依施。