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승정원일기 2860책 (탈초본 132책) 고종 16년 3월 13일 정사 28/28 기사 1879년  光緖(淸/德宗) 5년

○ 承文判校金炳洙疏曰, 伏以臣, 本以海隅微蹤, 濫竊科第, 十有七年, 名忝朝列, 揆分不稱, 惝怳踧踖, 靡所容措, 而臣是濟州人也, 事在目下, 有不容不泯默, 玆敢仰籲於聽卑之天, 伏乞聖明, 垂察焉。 顧臣所居之鄕, 僻在遐陬, 粵自列聖朝, 特蒙懷綏之澤, 擧切愛戴之悃, 今此國休無疆, 特設慶科, 八域多士就如雲日, 而傳敎曰, 各書道名, 又書濟州, 凡居濟州人士, 莫不蹈舞歡忭曰, 此誠移孝爲忠之會也。 及伏見榜眼所謂李禧戇爲名者, 冒稱濟州幼學, 至於參榜, 豈有如此無嚴之習哉? 若其眞箇濟州人, 則臣豈不知而亦不聞其姓名也哉? 古之名臣, 有不許增年, 有不許開封貫籍者, 稱以士子, 乃於進身之初, 敢犯欺君之罪, 是可忍也, 孰不可忍也? 臣愚, 以爲李禧戇, 不可仍置, 亟施當律, 以懲不忠之罪, 以泄公共之情焉。 臣無任云云。 省疏具悉。 豈有如許士習乎? 朝家之此地示意, 因此而未究, 尤爲痛歎, 當有處分。