승정원일기 1678책 (탈초본 89책) 정조 14년 5월 24일 갑진 15/15 기사 1790년 乾隆(淸/高宗) 55년
○ 庚戌五月二十四日寅時, 上御熙政堂。方物看品入侍時, 行都承旨趙宗鉉, 行左承旨洪明浩, 行右承旨朴宗岳, 左副承旨李益運, 同副承旨金履翼, 記事官徐有聞, 假注書李海隣, 記注官白慶楷·金鳳顯, 檢校直提學徐浩修, 二直提學金載瓚, 戶曹判書鄭民始, 以次進伏訖。上曰, 方物各種中, 各一封奉進, 以爲看品之地, 可也。民始率各司官員, 以次奉進。上親自看品訖。上曰, 藥房啓辭, 以知道書頒, 注書出去, 與之偕入。有聞承命出, 與都提調金鍾秀, 提調吳載純, 偕入進伏。鍾秀曰, 夜間聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。鍾秀曰, 俄伏聞掌務官口傳下敎, 有逐日問安勿爲之敎, 下情不勝慶幸, 今則王大妃殿患候, 益臻差勝之境乎? 上曰, 昨日以後, 益有差勝之效, 誠爲欣幸矣。上曰, 江界事, 誠不成說。前倅不但地處之異於他人, 其爲人, 多有可取者。大抵, 擇倅之法, 莫過於律己·廉正, 廉正則或欠於解事, 而此則旣能廉正, 又能解事, 如得久任, 則江界一邑, 庶可紓憂矣。今聞此報, 不勝嗟惜矣。鍾秀曰, 臣待罪宣惠廳堂上時, 爲堂郞, 熟知其爲人? 蓋綜核·律己, 誠不易得之人矣。上曰, 其代, 將何以擇送? 武臣蔭官宰列中, 苟有可合, 則何拘常格, 而予於昨夜, 遍閱官案, 終無可合者矣。大抵, 太上廉正, 其次才猶, 又其次地處, 於斯三者, 卿其留意思之。誰可爲之? 鍾秀曰, 李學源則能識道理, 又能律己, 而此人外, 實無可合者。曺遠振, 未知如何。上曰, 曺遠振則予果嘉之矣。若以武臣差送, 則李仁秀似可合矣。其廉聲, 予雖不聞, 而至於貪婪, 似不爲之矣。然近來之人, 操守不固, 未免有見物生心之患, 渠往江界, 不能蘇弊而歸, 則其將何顔, 更踰駒峴乎? 此非泛看之事, 吏判之意, 則以何人爲可? 載純曰, 臣孤陋未能詳知矣。上曰, 筵退後與吏判, 擇其可合者, 錄名以入, 可也。上曰, 近來士夫, 全不律己, 試以今番學儒事觀之, 是豈成說乎? 獄門雖不掊碎, 當初之移學宮一步地, 群往獄門, 已極變怪矣。所謂名檢, 已盡壞了, 如此之類, 雖能拔身, 將安用之? 如欲引義, 則陳疏猶或可也, 而至於此事, 豈不駭悖乎? 鍾秀曰, 昨日草記中, 決非士子之行云者, 亦寬恕而書之矣。蓋愷悌之士, 初不投蹤於疏班, 至於齋任而亦不生意, 人人豈皆如此也? 殿下勿以如此之類, 比諸他儒焉。上曰, 若如卿言則幸矣。鍾秀曰, 北伯薦望, 有一兩日內擬薦之命, 而臣往復左相, 則方在待命中, 不欲當之云。姑觀左相去就, 擬薦似好。上曰, 唯。明浩曰, 親臨方物着品, 事體何等重大, 而濟用監官員, 看品物種, 不爲親奉以進, 至使掖隷替奉, 事體所在, 誠極駭然。當該官員, 所當重勘, 而本院請推之外, 無他可施之罰, 何以爲之乎? 上曰, 爲先推考, 可也。出擧條 民始曰, 頃因咸陽御史崔顯重所啓, 本邑田稅木, 有待秋捧納之命, 而似聞該邑之令前已捧之木, 爲四十餘同云。旣不可還給民戶, 儲置官庫, 亦必生弊, 先令上納, 民邑俱便, 以此知委, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 民始曰, 昨年西關耗米作錢條萬餘兩, 在於江邊諸邑, 以其輸運之難便, 尙未輸來, 而目下本曹需用緊急, 以監營留庫錢, 依此數取用, 而諸邑所在錢, 移給監營, 以爲從便輸致充補之地, 則彼此便好, 依此擧行, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 民始曰, 京畿丙午還穀, 有四分一停退之命, 而監營穀則爲其給代之煩弊, 以會簿已捧之穀, 移充營穀停退之數, 其時道臣, 承筵敎擧行者, 而初無文跡之書出, 故當年畿邑守令之出解由者, 以公穀之未準捧, 不免文書之拘礙矣。旣無文跡之可據, 則有不可破格越送, 而初因特敎而擧行, 則亦不當拘泥永塞, 宜有變通之道, 而解由法意甚重, 自臣曹不敢擅便, 故敢此仰達。上曰, 旣有伊時筵敎, 勿拘, 可也。出擧條 命退, 諸臣以次退出。
정조 14년 (1790) 5월 24일