승정원일기 1737책 (탈초본 92책) 정조 18년 10월 25일 기묘 14/19 기사 1794년 乾隆(淸/高宗) 59년
○ 洪大協, 以內醫院都提調意啓曰, 嶺南今秋等封進羅蔘, 當捧爲二斤, 而獨頭之好品旣少, 山採之可用無多, 所捧僅爲六兩八錢。御藥所用, 關係莫重, 前後飭敎, 不啻截嚴, 而今此見退, 若是夥然, 事體所在, 萬萬駭然。當該道臣趙鎭宅罷職, 領納差使員寧海府使黃檃, 令該府拿問處之, 審藥, 令攸司從重勘罪, 醫生輩令本道別加嚴繩, 以懲日後。而退蔘一斤九兩二錢, 使之改備以納之意, 分付, 何如? 傳曰, 藥料雖重, 民弊宜念。常供猶且停免, 況藥料乎? 今番則以所封者捧置, 論罪科治, 竝分揀, 可也。
정조 18년 (1794) 10월 25일