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승정원일기
정보화사업
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왕 대
책별
조직과 기능
연혁
작성방식
사료적가치
기록유산
개 요
범 례
공지 사항
인조 - 고종
16대 인조(1623년~)
17대 효종(1649년~)
18대 현종(1659년~)
19대 숙종(1674년~)
20대 경종(1720년~)
21대 영조(1724년~)
22대 정조(1776년~)
23대 순조(1800년~)
24대 헌종(1834년~)
25대 철종(1849년~)
26대 고종(1863년~)
27대 순종(1907년~)
고종 1년
1864년 (갑자)
1월
2월
3월
4월
5월
6월
7월
8월
9월
10월
11월
12월
승정원일기 127책(탈초본 2676책) 고종 1년 4월 18일 무자
1864년 同治(淸/穆宗) 3년
요목
1일
2일
3일
4일
5일
6일
7일
8일
9일
10일
11일
12일
13일
14일
15일
16일
17일
18일
19일
20일
21일
22일
23일
24일
25일
26일
27일
28일
29일
晴
行都承旨
李載元
病
。左承旨
金基纘
病
。右承旨
閔奎鎬
病
。左副承旨
權永秀
坐直
。右副承旨
金世鎬
坐直
。同副承旨
申正熙
緣故出
。注書
朴海哲
病
一員未差。假注書
安驥泳
仕
金聲根
仕直
。事變假注書
李泰永
仕
。
○ 上在
昌德宮
廬次。
○ 上在
昌德宮
廬次。
○
權永秀
啓曰, 判義禁
尹致羲
, 工曹判書
金漢淳
, 除拜後過三日, 不爲出肅, 竝依定式推考警責, 仍卽牌招察任, 何如? 傳曰, 允。
○
權永秀
啓曰, 判義禁
尹致羲
, 工曹判書
金漢淳
, 除拜後過三日, 不爲出肅, 竝依定式推考警責, 仍卽牌招察任, 何如? 傳曰, 允。
○ 傳于
權永秀
曰, 今番
太廟
展謁時, 宗府堂上, 率璿泒人在京文蔭武儒生, 入參于
南神門
外。
○ 傳于
權永秀
曰, 今番
太廟
展謁時, 宗府堂上, 率璿泒人在京文蔭武儒生, 入參于
南神門
外。
○ 傳于
金世鎬
曰, 召對爲之。
○ 傳于
金世鎬
曰, 召對爲之。
○ 傳于
申正熙
曰, 臺諫竝許遞, 前望單子入之。
○ 傳于
申正熙
曰, 臺諫竝許遞, 前望單子入之。
○ 臺諫前望單子入之, 大司憲
黃浩民
, 大司諫
成容默
, 執義
曺克承
, 司諫
韓鼎謩
, 獻納
金政源
, 掌令
金騏獻
·
孫永老
, 持平
宋奎灝
·
金麟燮
, 正言
裴象鉉
·
金樂淵
, 落點。
○ 臺諫前望單子入之, 大司憲
黃浩民
, 大司諫
成容默
, 執義
曺克承
, 司諫
韓鼎謩
, 獻納
金政源
, 掌令
金騏獻
·
孫永老
,...
○
申正熙
啓曰, 新際授掌令
孫永老
, 以前任淸河縣監, 方在解由未出中, 何以爲之? 敢稟。傳曰, 勿拘。
○
申正熙
啓曰, 新際授掌令
孫永老
, 以前任淸河縣監, 方在解由未出中, 何以爲之? 敢稟。傳曰, 勿拘。
○
權永秀
啓曰, 吏曹郞廳來言, 大臣置處政事, 取稟。傳曰, 當日爲之。
○
權永秀
啓曰, 吏曹郞廳來言, 大臣置處政事, 取稟。傳曰, 當日爲之。
○
權永秀
, 以吏曹言啓曰, 議政府領議政
金左根
, 勉副事, 命下矣。當爲置處, 時帶判敦寧, 依例作窠, 送西後下批之意, 敢啓。傳曰, 判府事下批。
○
權永秀
, 以吏曹言啓曰, 議政府領議政
金左根
, 勉副事, 命下矣。當爲置處, 時帶判敦寧, 依例作窠, 送西後下批之意, 敢啓。傳曰, 判府事下批。
○ 又以吏曹言啓曰, 繕工監假監役官
朴齊筦
·
朴受晩
·
沈宜膺
, 俱以身病, 呈狀乞遞, 竝改差, 何如? 傳曰, 允。
○ 又以吏曹言啓曰, 繕工監假監役官
朴齊筦
·
朴受晩
·
沈宜膺
, 俱以身病, 呈狀乞遞, 竝改差, 何如? 傳曰, 允。
○
申正熙
, 以兵批言啓曰, 前領議政
金左根
, 判府事下批事, 命下矣。從座目輔國判中樞
金炳學
, 知中樞作闕降付, 其代下批之意, 敢啓。傳曰, 知道。
○
申正熙
, 以兵批言啓曰, 前領議政
金左根
, 判府事下批事, 命下矣。從座目輔國判中樞
金炳學
, 知中樞作闕降付, 其代下批之意, 敢啓。傳曰, 知道。
○ 有政。吏批, 兼判書
金炳學
進, 參判
兪致善
病, 參議
朴昇壽
病, 左副承旨
權永秀
進。以
金壽鉉
爲刑曹參判,
兪致範
爲參議,
閔致友
·
宋持喜
·
申鳳善
爲假監役, 羅州牧使單
宋正熙
, 特爲仍任事, 承傳。
○ 有政。吏批, 兼判書
金炳學
進, 參判
兪致善
病, 參議
朴昇壽
病, 左副承旨
權永秀
進。以
金壽鉉
爲刑曹參判,
兪致範
爲參議,
閔致友
&...
○ 兵批, 行判書
鄭基世
病, 參判
朴齊寅
病, 參議
申鍾益
病, 參知
鄭煥翼
入直進。判府事單
金左根
, 知事單
金炳學
, 護軍
洪遠燮
·
尹敎成
, 副護軍
申命和
, 副司直
李京鎬
。
宋達仁
·
張膺杓
·
南獻珍
·
崔擎祖
·
金漢鼎
·
張浩根
, 副司果
李錫寅
·
朱寅降
, 知事作闕單
洪鍾序
, 已上竝單付。
○ 兵批, 行判書
鄭基世
病, 參判
朴齊寅
病, 參議
申鍾益
病, 參知
鄭煥翼
入直進。判府事單
金左根
, 知事單
金炳學
, 護軍
洪遠燮
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○ 吏批再政, 以
李裕膺
爲大司成。
○ 吏批再政, 以
李裕膺
爲大司成。
○ 以平安監司
洪祐吉
狀啓,
平壤府
民家失火事, 傳于
金世鎬
曰, 當此農節, 民家之燒燼, 若是夥多, 聞甚驚慘。元恤典外, 別加顧助, 結構奠接, 無有一民失所棲遑之弊事, 廟堂各別措辭關飭。
○ 以平安監司
洪祐吉
狀啓,
平壤府
民家失火事, 傳于
金世鎬
曰, 當此農節, 民家之燒燼, 若是夥多, 聞甚驚慘。元恤典外, 別加顧助, 結構奠接, 無有一民失所棲遑之弊事, 廟堂各別措辭關飭。
○ 以咸鏡監司
李裕元
狀啓,
洪原縣
民家失火事, 傳于
金世鎬
曰, 聞甚矜惻, 元恤典外, 副加顧助, 結構奠接之方, 廟堂措辭分付。
○ 以咸鏡監司
李裕元
狀啓,
洪原縣
民家失火事, 傳于
金世鎬
曰, 聞甚矜惻, 元恤典外, 副加顧助, 結構奠接之方, 廟堂措辭分付。
○
權永秀
, 以禮曹言啓曰, 今四月二十一日,
永恩府院君
卒哭祭時, 大妃殿望哭儀註, 直爲書入大妃殿之意, 敢啓。傳曰, 知道。
○
權永秀
, 以禮曹言啓曰, 今四月二十一日,
永恩府院君
卒哭祭時, 大妃殿望哭儀註, 直爲書入大妃殿之意, 敢啓。傳曰, 知道。
○ 吏曹啓目, 出身
李震範
名字, 改以
奭範
·
金慶遠
名字, 與後娶妻父
朴慶元
, 音相似, 改以
慶默
事爲等如告狀, 依例令藝文館給帖, 何如? 判付啓依允。
○ 吏曹啓目, 出身
李震範
名字, 改以
奭範
·
金慶遠
名字, 與後娶妻父
朴慶元
, 音相似, 改以
慶默
事爲等如告狀, 依例令藝文館給帖, 何如? 判付啓依允。
○ 領議政
金左根
疏曰, 伏以臣之不能於其官, 猶農之不能其勤, 工之不能其事, 而尙得以塡日補月, 可幸無大譴何, 是惟天地庇覆之洪私, 朝廷忠厚之善俗耳。夫庇覆之不可妄怙, 忠厚之不可久狃, 誠以事應迭出, 機務錯迕, 萬有一僨僓無餘, 收拾不得, 則終安所逭其罪而辭其責也? 臣自崩坼之初, 猥叨敦董之任, 涕淚之爲命, 而顚踣之不恤者, 終事早晩, 爲臣報滿之期而然耳。光陰迅征, 因封奄成, 俯仰誰
[疇]
昔, 冤廓轉深, 而若臣區區微諒, 旣有夙算之着在心胸, 章凡再上, 披瀝衷蘊, 竊庶幾仰格崇聽, 而日月之明, 尙有遺照, 徒見具泮渙隳曠, 着手不得, 矢欲以一己去就, 爲一分報效者, 孰料其辜戾滋積, 懣塞至此也? 天下事, 不進則退, 聖明所以慰借奬勉, 尙期其有尺寸之進益, 而臣之荐煩屢瀆, 不敢知止者, 亦不至全昧於量能度力, 而所可悼者, 特言之甚晩, 坐見萬事之日退耳。然與其迷而不反, 曷若自附於來猶可追之訓也? 癃衰而爲疾病所鑠, 縱屬臣身之私, 濡忍之使憂虞交集, 厥有衆論之公, 此其界分, 較然明甚。伏乞聖明, 遠覽而曲察之, 仰稟慈旨, 亟允臣切至之懇, 千萬幸甚。臣無任云云。答曰, 省疏具悉卿懇。因封禮成, 而巽牘連至, 予於失圖之中, 尤以爲非其時矣。今見卿疏, 迺以終事早晩, 爲報滿之期, 是豈所望於卿者乎? 整頓心神, 經理庶務, 此政是君臣上下, 交修共勉之日也。體先朝宵旰憂勤之念, 仰太母柱石倚毗之眷, 鞠躬盡瘁, 惟卿之是望, 而今迺一辭再辭, 三辭而不已, 予心缺然, 當何如哉? 抑又思之, 古來名碩之愛君憂國, 不以進退而有間, 況卿處地, 與他有異者乎? 雅俗之坐鎭, 謨猷之入告, 居位去位, 宜無差殊, 今姑勉副, 以盡禮遇之道, 卿其諒之, 無孤予眷眷之望焉。仍傳于
金世鎬
曰, 此批答, 遣史官傳諭。
○ 領議政
金左根
疏曰, 伏以臣之不能於其官, 猶農之不能其勤, 工之不能其事, 而尙得以塡日補月, 可幸無大譴何, 是惟天地庇覆之洪私, 朝廷忠厚之善俗耳。夫庇覆之不可妄怙, 忠厚之不可久狃, 誠以事應迭出, 機務錯迕, 萬有一僨僓無餘, 收拾不得, 則終安所逭其罪而辭其責也? 臣自崩坼之初, 猥叨敦董之任, 涕淚之爲命, 而顚踣之不恤者, 終事早晩, 爲臣報滿之期而然耳。光陰迅征, 因封奄成, 俯仰誰
[疇]
昔, 冤廓轉深, 而若臣區區微諒, 旣有夙算之着在心胸, 章凡再上, 披瀝衷蘊, 竊庶幾仰格崇聽, 而日月之明, 尙有遺照, 徒見具泮渙隳曠, 着手不得, 矢欲以一己去就, 爲一分報效者, 孰料其辜戾滋積, 懣塞至此也? 天下事, 不進則退, 聖明所以慰借奬勉, 尙期其有尺寸之進益, 而臣之荐煩屢瀆, 不敢知止者, 亦不至全昧於量能度力, 而所可悼者, 特言之甚晩, ...
○ 行護軍
趙鳳夏
疏曰, 伏以靈期不淹, 因封永閟, 霣號慨廓, 帀域同情, 伏惟聖慕, 皇瞿靡洎, 益不勝哽塞之至。仍伏念臣抱千古之極慟, 悲萬念之都灰, 屛蟄荒野, 樵牧爲伍, 猥荷大行大王拯濟之澤, 拔之坑坎, 置諸袵席, 揃拂陶鎔, 聖眷冞隆, 踵頂毛髮, 莫非造化, 惟有生生隕結, 少伸圖報之忱而已, 今焉弓劍莫攀, 蓐蟻未效, 冥頑縷喘, 曾是木石之不若, 逮我殿下, 一初淸明, 基命定命之會, 萬化維新, 慈聖殿下, 以
女堯
之德, 簾惟覩穆, 百度咸張, 如臣險釁, 亦霑雨露, 喉司閣銜, 恩誥聯翩, 處之以邇密, 侈之以華要, 昵近耿光, 天香襲衣, 榮耀至矣, 志願足矣。雖卽日退塡邱壑, 更何餘恨? 迺者恩賞之頒, 以臣有蹔時往役, 進臣以貳卿峻秩, 此誠夢想之所不到, 𢥠然震越, 駴汗浹髓, 莫省措躬之地。夫方中之初, 祗審土色, 取而復命, 直一從事之所宜爾也, 有何勤勩之可言乎? 適臣素患貞疾, 倉卒肆劇於廞衛啓道之時, 煩稟經退, 幾絶而幸甦, 濱危多日, 尙闕造班之禮, 此尤臣沒世之恨, 難貸之罪, 而不寘之法, 亦出於體恤之德, 豈容以懋功之實, 遽論於以庸之恩也哉? 鳴呼, 臣顓蒙愚鹵, 百不肖似, 兠攬無漸, 自速殃咎, 傷弓之餘, 曲木猶懾, 矧玆所叨, 係是命德之器, 曷嘗有無難授受, 若臣今日之爲者乎? 凡人之所貴乎爵祿者, 非徒爲一身之私, 將以上答君恩, 下悅親心, 而臣今大質旣虧, 涓埃蔑稱, 金貂軒冕, 反招負乘之災, 廩餼鍾鼎, 只增含索之痛, 徊徨踧踖于何控因? 且臣兄弟, 幾年之間, 倂據卿月之列, 歷觀同朝, 罕與倫比, 奈何衰剝之門, 蹈北過福之忌乎? 先臣在時, 每以盈滿爲憂, 見臣兄弟, 聯武華顯, 蹙然不寧, 申申焉斂迹退藏之訓, 而顧臣癡騃沒覺, 未克服膺, 冥升不已, 終陷大戾, 今其燀爀, 有加於昔, 此臣所以標辟明發, 撫躬怵惕, 未敢爲趨膺計者也。參前倚衡, 兢懍居先, 冒死干瀆於嚴廬之下。伏乞聖明, 俯察臣言實由衷, 讓非飾外, 仰稟東朝, 亟收臣新授資級, 得以粗全微諒, 無玷公器, 不勝幸甚。臣無任云云。答曰, 省疏具悉。卿其勿辭行公。
○ 行護軍
趙鳳夏
疏曰, 伏以靈期不淹, 因封永閟, 霣號慨廓, 帀域同情, 伏惟聖慕, 皇瞿靡洎, 益不勝哽塞之至。仍伏念臣抱千古之極慟, 悲萬念之都灰, 屛蟄荒野, 樵牧爲伍, 猥荷大行大王拯濟之澤, 拔之坑坎, 置諸袵席, 揃拂陶鎔, 聖眷冞隆, 踵頂毛髮, 莫非造化, 惟有生生隕結, 少伸圖報之忱而已, 今焉弓劍莫攀, 蓐蟻未效, 冥頑縷喘, 曾是木石之不若, 逮我殿下, 一初淸明, 基命定命之會, 萬化維新, 慈聖殿下, 以
女堯
之德, 簾惟覩穆, 百度咸張, 如臣險釁, 亦霑雨露, 喉司閣銜, 恩誥聯翩, 處之以邇密, 侈之以華要, 昵近耿光, 天香襲衣, 榮耀至矣, 志願足矣。雖卽日退塡邱壑, 更何餘恨? 迺者恩賞之頒, 以臣有蹔時往役, 進臣以貳卿峻秩, 此誠夢想之所不到, 𢥠然震越, 駴汗浹髓, 莫省措躬之地。夫方中之...
○ 正言
朱寅降
疏曰, 伏以臣, 生長鄕曲, 百無肖似, 而幸逢晟時, 猥占科第, 通籍未幾, 忝叨侍從之列, 霜臺柏府, 迭次推遷, 每奉恩誥, 惶汗沾背, 天地之德, 未報於埍埃, 弓劍之慟, 遽纏於率土, 臣尙頑然視息, 幾月于玆矣。今於夢想之外, 又伏奉薇垣除旨, 感霣怵惕, 固當趨膺之不暇, 而此豈一初遴選之日, 如臣罷軟之所可擬議者哉? 至若諉之宿硏, 晏然冒當, 非臣義分之所敢安。玆敢悉暴衷懇, 冀蒙遞斥, 乞令選部, 回授可堪之人, 以重官方, 以安微分焉。臣於丐免之章, 何暇贅他, 而憂愛之誠, 根於秉彝, 輒取形現之症, 眉睫之見, 爲殿下陳之。夫自古聖帝明王, 非無生知之姿, 而學而不厭, 發憤忘食, 蓋生而可知者, 義理爾, 若夫禮樂名物, 古今事變, 必資學問而知之。故終始典學,
高宗
之所以享國長久也, 緝熙光明,
成王
之所以身致刑措也。我殿下, 以天縱之聖, 受艱大之業, 萬幾之餘, 頻御經筵, 睿學漸就, 德音日彰, 雖深山窮谷, 莫不延頸欣欣相告, 將謂唐虞之治, 復覩於今日, 則以臣蔑識, 更有何陳勉, 而竊伏念,
堯
·
舜
·
禹
相傳之心法, 卽不過人心道心, 精一執中之十六言, 而
子思子
推明其義, 言之切而說之詳, 其所重言而復言, 會其極而歸其極者, 亦不過曰誠而已。誠者, 何也? 實心實政, 是也。假如一念之萌, 知其爲天理也, 則擴而充之, 如好好色, 一念之崩, 知其爲人欲也, 則遏而絶之, 如惡惡臭, 好之以誠, 惡之以誠, 念念如是, 日日如是, 如是之積, 身不期於修而自修矣。身旣修矣, 於是乎發一令而發之以實, 則令惟行而不惟反矣, 行一政而行之以實, 則政惟敏而究於下矣。上以實而倡之, 下以實而應之,
大易
所謂厥孚交如, 以是心而推之, 以是心而行之, 則徹上徹下, 四通八達, 治國也平天下也。天之所以爲天,
文王
之所以爲文, 亦不外是而他求矣。三代以還, 王覇混淆, 不復知有是道, 義理之講明, 莫尙於我朝, 而惟其風土, 欠於耐久, 文弊, 至於滅質, 百千萬事, 無復一實, 虛僞相襲, 因循至今, 臣以爲目下百弊之源, 惟不誠無實是已。臣竊伏覩, 近日絲綸, 一政一令, 無非良法美規, 果能一一行之, 而不愆不忘, 則三代之治, 亦不過此。今以臣之所覩者言之, 添餉輕殖, 何等名色, 而環
關西
四十餘州, 百萬餉穀, 盡入逋藪, 雖謂之無一包, 可也, 而趁秋耗作, 依舊責徵, 戶排結斂, 看作年例, 釐弊之關飭, 非不申複, 而仍因襲謬, 莫之矯救, 殿下深居九重, 何以知生民困悴, 至於此極也? 臣居在
關西
, 故深知其弊。一道如是, 則安知非他道還弊, 亦如
關西
也哉? 惟殿下, 惕然猛省, 將臣此疏, 下詢廟堂, 亟令釐改, 以解一方倒懸之急焉。臣旣發端於時弊, 則事係同省, 聽聞駭惑, 有不容泯默者。傳曰, 綱紀四方,
董子
曰, 立經陳紀, 綱紀之不張, 莫近日若。前獻納臣
金瑛默
, 前掌令臣
金觀孝
, 千里奉諱, 來趁因封, 到
平山
地, 路逢載寧郡守臣
李稷鉉
赴任之行, 前導辟除, 喝令下馬, 及其馬蹄相近, 猝下毆踢, 五步之內, 回旋不得, 懇告以不當下馬之由, 則爲官長者, 輒曰
關西
有何官爵, 有何兩班乎? 仍令皁隷, 一場厮打, 猶爲未足, 相過里許, 忽然駐馬, 使前後隨率, 雜踏圍繞, 棍鞭交加, 體膚無完, 僵仆田間, 幾絶僅甦, 此爲兩臺臣所遭之顚末也。夫回馬下馬, 國典自在, 吁, 彼
稷鉉
, 一箇末蔭, 有何回避之義, 而旣知某官, 故加凌辱, 豈不以兩臺臣, 跡在遐鄕, 不足顧忌而然歟? 噫,
關西
之人, 爲世數慢, 而特蒙列聖朝一視之至恩盛德, 名列衣冠, 跡廁簪紳, 非朝家之區以別之, 而況兩臣, 顧其官則侍從也, 問其行則奔哭也。渠何所見, 嵬然自大, 侵侮凌轢, 至此之極也? 彼旣無相愛於同朝, 則亦何以臨民而字恤乎? 朝綱從以掃地, 聞見莫不解體, 揆以法紀, 不可仍置。雖以兩臺臣言之, 遭値罔測, 貽辱朝廷, 淸班一路, 鐵限在前, 亦何面目, 彈冠而立於世乎? 伏願聖慈, 仰稟東朝, 亟降處分, 以警具寮, 以肅朝綱, 千萬幸甚。臣無任云云。省疏具悉。陳勉甚好, 當留念矣。
關西
還弊, 已令道臣, 講究方略。
李稷鉉
事, 爾言失之矣。朝家之禮待侍從, 何嘗區別疆域, 而爾乃以
關西
爲說乎? 該倅之擧措駭然, 更無可論, 令該府拿問處之, 爾其勿辭察職。
○ 正言
朱寅降
疏曰, 伏以臣, 生長鄕曲, 百無肖似, 而幸逢晟時, 猥占科第, 通籍未幾, 忝叨侍從之列, 霜臺柏府, 迭次推遷, 每奉恩誥, 惶汗沾背, 天地之德, 未報於埍埃, 弓劍之慟, 遽纏於率土, 臣尙頑然視息, 幾月于玆矣。今於夢想之外, 又伏奉薇垣除旨, 感霣怵惕, 固當趨膺之不暇, 而此豈一初遴選之日, 如臣罷軟之所可擬議者哉? 至若諉之宿硏, 晏然冒當, 非臣義分之所敢安。玆敢悉暴衷懇, 冀蒙遞斥, 乞令選部, 回授可堪之人, 以重官方, 以安微分焉。臣於丐免之章, 何暇贅他, 而憂愛之誠, 根於秉彝, 輒取形現之症, 眉睫之見, 爲殿下陳之。夫自古聖帝明王, 非無生知之姿, 而學而不厭, 發憤忘食, 蓋生而可知者, 義理爾, 若夫禮樂名物, 古今事變, 必資學問而知之。故終始典學,
高宗
之所以享國長久也, 緝熙光明, <...
○ 甲子四月十八日申時, 上御
重熙堂
。召對入侍時, 參贊官
金世鎬
, 檢校待敎
鄭範朝
, 侍讀官
兪晩源
, 檢討官
李基正
, 假注書
金聲根
, 記注官
洪憲述
, 別兼春秋
洪軒鍾
, 各持
小學
第一卷, 以次進伏訖。上曰, 史官分左右。上開卷, 仍讀自列女傳, 止七十致仕。上曰, 上番讀之。
晩源
讀, 自女子十年, 止不傾聽。上曰, 下番讀之。
基正
讀, 自學記曰古之敎子, 止朋友有信。上曰, 參贊官讀之。
世鎬
讀, 自舜命契曰百姓不親, 止神人以和。上曰, 閣臣讀之。
範朝
讀, 自周禮大司徒, 止亂民之刑。上曰, 耳不聽淫聲, 何義也?
晩源
曰, 樂有鄭衛之音, 此則淫聲, 而樂之外, 亦多不正之聲也。聲入心通, 易於感人, 故方其有娠之時, 切不可聽也。
基正
曰, 若聽非正之聲, 則邪僻之心易入, 故所以不聽也。上曰, 必求其寬裕慈惠溫良恭敬愼而寡言者, 何義也?
晩源
曰, 幼穉之時, 凡所聞見, 皆以先入爲主, 故常視無誑, 不傾聽之事, 皆是乳母阿母, 朝夕與居, 導迪保養之道也, 所以不可不愼擇也。及夫十年, 始出就外傅而受業。
世鎬
曰, 吉人之辭寡, 人之百行, 寡言爲責, 故擇諸母而爲子師, 必取其寡言者也。
範朝
曰, 自幼穉之時, 必先養之以正, 導之以善, 使之習與性成, 故必擇其師, 具此八善, 而加之以畏愼, 將之以寡言者, 婦人之全德也。然後可以爲子之師焉。
基正
曰, 是故,
禮記
曰, 卜妾飼子, 卜妾云者, 卜其良善之女也, 正與此章擇其諸母之義, 同也。上曰, 十年始出就外傅乎?
範朝
曰, 然矣。上曰, 婦人妊子, 寢而不側, 坐而正中乎?
範朝
曰, 方其妊娠也, 已有胎敎, 敎之以善端, 及其生子, 擇其正人而敎之, 能正厥性而乃成君子也。
基正
曰,
周文王
, 聖人也,
文王
之母
太任
, 亦聖母也。自有娠時, 已有胎敎, 所以成之者遠, 而
文王
之爲聖人也。上曰, 敎以右手, 何義也?
晩源
曰, 集解, 謂以取其便, 內則本註, 取其强, 兩存其說, 似好矣。蓋男子尙剛, 女子尙柔, 故應對之際, 亦使之以速以緩也。上曰, 男女七年則不共食不共席乎?
範朝
曰, 自幼時, 敎之有別而然也。上曰, 卽席飮食, 必後長子, 何義也?
晩源
曰, 禮讓, 必自敬長時, 故凡於出入居處飮食, 必後於長者, 使知長幼之序也。
世鎬
曰, 禮讓之道, 非但爲童年所當學習, 聖人極工, 必以讓爲本。
帝堯
之允恭克讓,
孔子
之讓以得之, 皆爲後人之所仰法效則也。上曰, 十有三年, 學樂誦詩, 何義也?
基正
曰, 樂者, 非俗樂之謂, 此卽先王雅樂, 而樂之於人, 動盪血脈, 廣大志氣, 至於心和氣和體和, 故樂之效, 大矣。樂之居一於六藝, 亦以是也, 則人之不可不學, 而詩者, 樂之章也。故學樂者, 亦不可不誦詩, 舞勺之勺, 舞象之象, 皆樂歌之詩, 而舞者, 歌其詩爲節也。十有三年, 則年稍長成, 足以學樂誦詩。故此章所以云云, 非但古之人, 今我殿下, 春秋亦已十有三矣, 篤學勤工, 勿失此時, 然後可以成就聖學於高明之域。雖以閭巷家學業言之, 自十歲以上, 至十五歲以前, 最是勤勵學業之時, 而若泛過此時, 則終未能大有成就也。伏願殿下, 懋哉懋哉。
世鎬
曰, 十有三年, 迺出就外傅之後, 入于大學之前也。旣免孩提, 智慮漸長, 蒙養工夫, 宜倍着力。故必敎之詩樂舞勺, 以修入大學根基也。今殿下, 正當此時, 體天不息, 寸陰是惜, 則聖工自臻於緝熙光明之域。古人曰, 歲月如流, 工夫易間斷。又曰, 莫謂今日不學而有來日, 此等處, 必加警省焉。
基正
曰, 請以讀書法, 略陳之。蓋讀法, 雖一字一句, 不貴疊讀, 若常常疊讀, 則以此成習, 而讀之未精, 故設或讀未及一句讀, 而有未通處, 則期於覺得, 而繼讀之而已。已讀之句, 不必更讀, 如是爲式, 則漸次精讀, 而讀之至精, 則誦之亦易, 誦之已熟, 則久而不忘。故自然有將就之效, 而至於旨義, 尤不可不句句起疑, 頻頻發問。讀法精熟, 旨義通暢, 則自可味於學, 而學之不厭矣。伏願殿下, 澄省焉。上曰, 四十始仕, 方物出謀發慮, 何義也?
晩源
曰, 四十, 不惑之年也, 所學成就, 始出於事君, 凡於國事施措, 其所謀猷者, 皆出於前日所學也。故
孔子
曰, 學而優則仕者, 此也。上掩卷, 仍命史官就座。又命退, 諸臣以次退出。
○ 甲子四月十八日申時, 上御
重熙堂
。召對入侍時, 參贊官
金世鎬
, 檢校待敎
鄭範朝
, 侍讀官
兪晩源
, 檢討官
李基正
, 假注書
金聲根
, 記注官
洪憲述
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