○ 兵曹啓曰, 禮曹啓, 八月十八日晝講時, 知事李廷龜所啓, 申景植有功於擧義之人, 未及酬勞, 遽至身死, 自上痛惜, 特下禮葬之命, 聖意出於待勳, 非有私也。第向來弊習, 新化之初, 不可踵行, 未封號前, 先爲禮葬, 事體未安, 故區區之意, 敢爲啓達, 而聖批不准, 臣非不知聖意, 而法外之事, 不敢奉行。棺槨·造墓軍·賻物, 雖依禮葬例, 別爲題給, 固無不可, 若如禮葬, 則事體自別, 恐不可爲, 法則不可撓也。上曰, 然則追贈賜祭, 可以爲之乎? 廷龜曰, 追贈賜祭, 有特命, 則有何不可。任叔英曰, 禮官之言, 是矣, 法外禮葬, 極爲未安。上曰, 然則雖不爲禮葬, 而凡物, 一如禮葬爲之可也, 傳敎矣。向前申景植造墓軍, 依三等例, 一百八十名內, 三司同議, 裁減五十名, 計除一百三十名, 依近例, 京畿烟水軍, 參半題給, 京畿監·水使及宣惠廳移文, 何如? 啓依允。兵曹謄錄