○ 許啓啓曰, 作散人中軍差下, 前例未易考出, 問于御營廳金俊龍中軍差定之由, 則本廳草記, 以前兵使差下云。更考承傳, 則上年三月二十七日, 勿爲定配事, 捧承傳矣。俊龍以奪告身, 流三千里啓下, 則雖勿爲定配, 而乃是缺人也。旣無職牒, 則稱以前兵使, 亦似不察, 故招問本廳缺及兵曹色吏, 則曰只知金俊龍之放釋, 而不知猶在奪告身之中, 故如是啓下云, 金俊龍之事, 不可援以爲例。柳琳則只放釋, 承傳捧入矣。