○ 大護軍李敬輿疏曰, 伏以, 國事艱虞, 非臣子退休之日, 而迫於私情, 冒陳危懇。聖度天大, 特許恩暇, 使歸見病母, 得以救療, 母子銜感, 祗自殞[隕]涕, 一出春明, 便隔天涯, 戀闕憂時, 方切[寸]耿耿, 促裝歸朝, 陳力就列, 圖報涓埃, 以畢此生, 微臣素所蓄縕, 豈敢遲回, 自蹈逋慢? 第臣母纔經大病, 氣力澌敗, 加以缺伏乞聖明, 缺竝賜遞改, 以便公私。且臣頃添憲府, 有所持難於缺 非以沈東龜之言爲非也。恐其未暴激揚之忱, 先啓騷擾之端, 爲[且]慮形跡之嫌, 而終爲苟且之歸, 使同席已發之論, 未得伸於淸朝, 儒臣糢糊之斥, 豈非自取? 臣事聖明十六年, 固無一事可觀, 心之所期, 惟以有懷必達, 不欺吾君, 爲報效之地矣, 豈料當此主辱臣死之日, 偸生苟活之餘, 重速官謗, 自貽玷虧若此也? 臣其時意見, 旣有違, 今日之調停, 當事處置, 又有愧古人, 缺終使同事之臣, 獨被重譴, 臣彼此無據, 罪戾益甚, 揆以事理, 決難幸免。伏願聖明, 俯察情勢, 永賜斥黜, 以缺大夫進退之義, 不勝幸甚。答曰, 省疏具悉卿意, 卿其安心勿辭。