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승정원일기 4책 (탈초본 74책) 인조 18년 5월 20일 경자 5/8 기사 1640년  崇禎(明/毅宗) 13년

鄭泰和를 平安監司에 제수하며 내린 교서

    ○ 敎平安監司書, 王若曰, 命四岳分十連, 自古爲任最重, 屬大事當一面, 方今舍卿而誰? 僉議旣同, 予 粵自禮以後, 尤甚關西凋瘵之災。惟其地接於彼疆, 是以致重於路織冠蓋, 難堪供億之煩, 歲輸金繒, 忍見飛輓之苦。且徵發之有擧, 未免誅求之多端, 力盡財殫, 膏血竭矣。送, 遐近蕭然, 故付畀或非其人, 則施措多失其會, 暍, 必藉愷悌之良, 理劇刺繁, 宜賴通敏之手。此時此任, 其難, 念卿世忠貞, 與國義同休戚, 鴻雁行於桂籍, 難弟難兄, 箕裘業於桐鄕, 乃祖乃父。立臺閣而風生霜肅, 處銓省而鑑空衡平。頃屬危急之際, 益著夷險之節。三軍崩潰, 獨推從事之賢, 一路澄淸, 咸仰觀風之化。凡所履歷, 蔚有名稱。大臣數言, 知卿之力量已悉, 三年再擢, 肆予之倚仗實深。使協贊乎廟謨, 朝廷無出其右。蓋明習於邊事, 勳業將多于前, 勁草可以受疾風, 盤根然後別利器。玆以卿爲平安道觀察使兼兵馬水軍節度使·巡察使·兩西管餉使, 官無間於內外, 任實於重輕, 嶺海行忙, 歸省之日子未 君親念切, 遠離之心事, 如何? 勖哉, 予嘉得忠, 去矣職思其責, 才非識務不足濟屯非沈機, 難得以應變, 流亡若爲安集, 黜陟惟在嚴明, 送往迎來之際, 生事可慮。牧民御衆之道, 檢身爲先, 卿所熟諳, 予敢多誥, 訓而自斷, 罪大辟則稟裁。於戲, 否泰相乘, 忠義所感, 何事不成? 區區責應之方, 惟殫賢勞, 故玆敎示, 想宜知悉。兵曹參議知製敎製進

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