○ 兵曹啓曰, 亂後諸色軍額, 太半逃故, 至于今日, 而尤甚番布, 亦隨而減縮, 逐朔該用, 每患難繼, 況今年則已經沙格無前之大役, 而諸都監設局, 殆無虛月, 前後用度, 極其浩大, 庫儲之蕩竭, 未有如今日也。海西諸色軍收布, 亂初因本道蕩敗, 收捧留置於兵營, 以便臨急之用, 而到今西路策應, 比前稍減, 本曹經費, 萬分渴悶, 救急之道, 不可少緩。今乙酉條諸色軍收布, 使之依前上納, 以爲需用之地, 宜當。且本道騎兵, 以曩日赴西之故, 無上番之事, 而自丁丑後, 赴西之罷, 仍爲除上番收布矣。此不過一時變通之意, 而因循至今, 未見有益於民, 無損於公也。上番往來, 其弊雖多, 豈與赴西之苦, 同日道哉。卽今上番軍額, 日漸減縮, 至於西營, 無留衛之軍, 如値大禮, 則每請出用京下番騎步兵, 而不足至有防民調用之擧, 不但料理之際, 未免窘迫, 揆諸事體, 亦涉苟且。諸色軍則依例收布, 而騎兵則來丙戌正月爲始, 上番之意, 本道監·兵使處, 行移, 何如? 傳曰, 依啓。兵曹謄錄