○ 領議政李景奭, 左議政趙翼啓曰, 前日內殿命進素膳, 而旋因陳達, 幸而得請, 昨日又聞, 內殿自今日行素, 臣等不勝憂悶, 夜不能寐, 待曉來詣矣。山陵之日月有時, 內殿此敎, 出於悲痛之至情, 所患疾病, 若非大段深重, 臣等固當將順之不暇, 尙何敢更伸此請於此時乎? 脹浮之症, 本出於氣血之俱虛, 氣血之俱虛, 非可以草木之滋, 治療者也。時月已多, 根源漸痼, 朝夕所進, 元來幾何, 而當此之際, 又復喪食累日, 則證候之添重, 不待醫者而可知也。常膳之進, 雖未覺其有補, 若御素膳, 當不日而添傷, 知其必傷而不爲力爭, 則臣等之罪, 固大矣。抑於愼疾之道, 遵禮之制, 果可謂得乎? 如或因此而添重, 則臣民之憂, 固不暇言, 所以爲宗廟社稷之憂, 復如何哉? 一日行素, 其傷萬萬, 至情所在, 有不可抑, 則發引前二三日, 猶可行之也。自今日始, 斷難行之, 伏願命寢素膳之敎, 以副臣民之望, 臣等不任渴悶, 敢此陳懇。答曰, 病患雖如此, 而此時情事, 豈可言乎? 亦復何心而强勸乎? 數日之間, 不行喪食, 誠不忍於中矣。