○ 備邊司啓曰, 到此地頭, 容力無策, 各項接待等事, 當任本道, 設或有不及之事, 勅行所率多寡, 領將高下, 大異於當初所聞, 員數亦倍, 在我狼狽, 彼亦自知, 似不至大段生怒, 而鄭使旣令護行, 副使馳往灣上, 則雖致參差, 猶可執言矣。其中禮單, 有所取舍, 甚爲未安。然彼初以兩將爲言, 不宜深咎於我, 所謂宣傳官, 未知等級尊卑, 禁軍將八員處禮單, 急急磨鍊, 擇定禁軍或譯官, 乘撥下送, 爲當。此亦萬無可及之勢, 而追傳於中途, 尙賢乎己, 初未及知。狀啓到京後, 罔晝夜馳來之意, 令申翊全措辭開諭, 似可矣。且觀護行使元斗杓等狀啓, 以只從鄭使之言, 遽爾自當, 遠接之任, 有遲難之意, 權宜之道, 合有變通, 星夜馳進之意, 遠接使·護行使·平安監司·義州府尹處, 竝爲行移, 何如? 敢啓。答曰, 依啓。所謂皇父王家伴堂稱云者, 及以將領爲名者, 所謂宣傳官稱云者, 皆似當有禮單, 斟酌磨鍊, 星夜下送, 而還越江已久之後, 則亦不必追及, 可也。