○ 又啓曰, 云云事, 傳敎矣。卽令差備譯官, 言于大通官, 使之知勅使詳探以報, 則通官卽言於諸勅使, 良久商議後, 答稱明日當行査事, 而若待査畢後行宴, 則主上當此盛熱, 久留未安, 明日只行査事, 而下馬宴, 則明明日爲之甚當云。臣等更以寡君重患腫症, 針破之後, 稍得向差, 而莫大迎勅之禮, 郊外力疾親行, 若連日擧動, 則前症恐致復發, 以此極悶。明日査事後, 仍行宴禮, 似爲便當, 大通善爲周旋云, 則大通官等回言, 四勅使相議, 已爲磨勘。今雖更言, 萬無回聽之理, 主上連日擧動, 若妨於腫患, 宴禮不必明明日爲之, 豈無可行之日乎? 明明日則獨行査事, 可也。且前日則査事時, 只三公·六卿·兩司長官入參, 而今番則事異於前, 此外六承旨及六曹參判·參議, 全數入參, 可也。此皆勅使商確之言云, 敢啓。傳曰, 知道。使之依此擧行。