○ 大司憲洪命夏, 執義金徽, 掌令朴承休, 持平朴增輝啓曰, 自古帝王用刑之道, 必須原其本情, 施其當罰, 然後處得其中, 而人無異辭矣。今此湖儒所失, 毋論輕重, 旣以尊聖廟重祀事爲辭, 則朝家處置, 豈無容恕之道乎? 凡罪之疑於輕疑於重, 情理之相缺三字從輕典, 此國朝愼刑遵行之法。而況待士之道, 與凡民有異, 故雖有妄作之擧, 必爲之優容者, 蓋爲其扶植士氣, 意非偶然, 則何可不重其情, 偏施重罰, 至於刑訊章甫, 以失中外多士之心乎? 請還收丁晳等嚴刑, 裵緯等停擧之命。殿最之法, 至嚴且重, 而近來國綱解弛, 黜陟不公, 識者之寒心久矣。以今番西北殿最觀之, 高嶺僉使黃道昌, 乫波知僉使鄭好信, 俱以堂下, 超授本職, 初旣過濫, 而赴任未久, 謀避之說已行, 繼有中下之考, 缺二行不無人言。渭原郡守姜說, 自初圖遞之後, 自上特命還授, 非他循例差遣之比, 且居官日淺, 至於居下, 事體殊常。北兵使鄭榏, 南兵使姜瑜, 前黃海監司呂爾載, 平安監司沈澤, 竝命從重推考。答曰, 不允。推考事, 依啓。黃道昌·鄭好信·姜說等中下考, 竝勿施。