○ 今七月十一日引見時, 上曰, 水原邑里, 旣盡撤出耶? 延陽府院君李時白曰, 其處之民, 若聞不用之奇, 則雖已撤出, 欲居田畓近處, 自當還入矣。領議政鄭太和曰, 今此所移處, 道里甚左, 事多難便, 不可不還入舊居也。左承旨姜栢年曰, 水原民勿爲役事之意, 曾已下敎, 何以爲之乎? 鄭太和曰, 水原, 地廣民多, 邑內之移徙遠村則不知, 而今此山陵之役, 亦甚浩煩, 何可不爲區別, 一切減役乎? 令水原府使, 親爲上來, 聽朝家分付, 擧行, 何如? 上曰, 依爲之。上曰, 水原今雖不用, 旣入於國陵置簿, 不可使之如前錯亂, 其處田畓, 雖令耕作, 穴道近處, 多種樹木, 穴前侵近之田, 禁其耕墾, 自官家劃及他田, 勿使傷害山脈, 且以此後, 若有傷害處, 則近處居民, 亦難免重罪之意, 嚴明分付, 可也。