○ 金萬基, 以常平廳郞廳, 以都提調意啓曰, 設粥賑救之擧, 專爲飢民糊口之地, 不可不着實擧行, 而當初啓下飢民賑濟之數三百名矣。近日則朝夕食粥者或爲三百名, 或爲四百名, 其間多有不實之狀, 故卽聚各部開錄成冊觀之, 則皆是士夫家奴婢, 無告窮民, 不過若干名, 誠可寒心。京中貧寒士人, 不能自資, 致有奴僕飢餓之患, 則以飢民置簿, 可也, 至於有職士大夫家之奴婢, 亦錄以飢民, 一體賑粥, 此豈朝家賑恤之本意哉? 各部官吏所爲, 殊甚不當, 着令本廳, 更加嚴飭各部, 査出京中無依飢民, 依例賑粥, 士夫鰥寡孤獨絶火之家, 則題給乾糧, 俾無飢死之患, 且城中癘疫又熾, 東西活人署出置病幕之類, 亦依近例, 量給乾糧鹽醬宜當, 以此分付, 何如? 傳曰, 允。