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승정원일기 11책 (탈초본 212책) 현종 10년 1월 4일 무술 18/24 기사 1669년  康熙(淸/聖祖) 8년

世子를 접견할 때 禮官儀注에 어긋난 행동을 했고, 병세가 중하다는 이유로 돌아가게 해 달라고 청하는 宋時烈의 차자

    ○ 判中樞府事宋時烈箚曰, 伏以臣, 濫蒙恩渥, 得以接見於世子, 天日之表, 龍鳳之姿, 不足[能]以言, 誠宗社生民萬世之福也。臣不勝喜踴, 自以爲此足以歸報於先王矣, 死無所恨也。惟是臣竊見禮官儀注, 則傳與賓客, 陞堂成拜訖, 旋卽退出, 而臣初接玉質, 忠愛之心, 藹然而出, 不忍遽退。且又伏念, 古人相接, 必有言語, 以相勸勉, 以相規戒, 故其儀齋莊密勿, 其情歡忻和悅, 故曰於旅也語, 況君臣始際, 瞥然旋踵, 終無一言, 則威儀迫促, 意思枯孤。故臣與賓客臣閔鼎重, 因對坐少頃, 酬酢數語。旣已坐語, 則亦不可昧然而退, 故又成拜而出次, 雖於義理, 不甚悖謬, 而於朝儀則有違矣。汰哉之誚, 烏能免乎? 臣不勝惶恐之至。且臣素多疾病, 在鄕之日, 長時杜門, 猶嫌人事, 不能全無, 走入深谷, 終日無事, 今日出來, 幸蒙鴻私, 西遊南去, 皆就山裏靜伏, 得休神觀矣。及入城裏, 則應副人情, 卒學不成, 發言處事, 動乖理致, 以致身勞悴而心忸怩, 旣拂素性, 病亦隨劇。昨於元日, 力疾詣闕, 堇參問安之列, 而寒氣上觸, 渾身戰掉, 賀班臚列, 而臣則徑退矣。夫三元慶節, 是臣子獻祝頌釐之日, 而猶不得自伸, 則他尙何言哉? 前者黽勉淹滯, 只緣微情, 有所竚待矣。今則志願已畢, 歸思尤切, 伏乞聖明, 俯諒微情, 許臣歸死, 不勝幸甚, 敢進止。答曰, 省箚具悉卿懇。昨日之事, 揆以情理, 宜美而不爲悖, 亦有前例, 卿何爲不安哉? 卿其安心焉。至於箚末告歸之辭, 是何言也? 卿之入城屬耳, 方切敎予之至意, 棄予如遺, 歸思至此, 只恨誠意之不孚。益切慚恧, 而國事孔艱, 憂虞溢目, 此誠共濟之秋也。卿胡忍舍去, 須體至意, 毋事長往之計, 安心留在, 以副至望。後日登對時, 亦當從容面諭焉。仍傳曰, 遣史官傳諭。

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